京都旅行モデルコース

こんにちは、やなべです。

 

私は、京都が好きでよく旅行に行っていました。初めて京都を訪れたのは、中学校の修学旅行だったのですが、仁和寺というところに立ち寄ったとき、その庭園に感動したのをよく覚えています。その日は小雨が降っていて、雨音と庭園に流れる小滝のようなものの音とが重なって、昔の人はこういうのを見て「をかし」と言っていたのかなあ、なんていうことを考えたりしていました。

 

さて、そんな私のお勧めする京都旅行モデルコースを紹介します。京都旅行のポイントは移動方法だと思うのですが、いかに効率的に楽しく移動するかによって、旅の満足度が変わってくると思います。市バスが便利なのですが、途中渋滞があったり、乗り換えが分かりにくかったりするので、このモデルコースでは、なるべくバス以外の手段を使うようにしました。それでは、京都駅から出発しましょう。

 

京都駅から嵯峨嵐山駅トロッコ嵐山駅)

 

新幹線で京都に降り立ったら、そのまま在来線に乗り換えます。嵯峨野線に乗って、嵯峨嵐山駅を目指しましょう。嵯峨嵐山駅からは徒歩ですぐ、トロッコ嵐山駅があります。ここからトロッコ列車に乗り換えです。

 

トロッコ列車 | 嵯峨野観光鉄道

 

トロッコ嵐山駅からトロッコ亀岡駅

 

これからの紅葉の時期は、トロッコ列車がおすすめです。窓が全開のトロッコ列車に乗って、紅葉の中を走り抜けます。

 

youtu.be

 

保津川下り(亀岡から嵐山)

 

トロッコ亀岡駅から徒歩ですぐのところに、保津川下りの乗船場があります。地理的には、亀岡から嵐山に戻る形になります。行程としては、だいたいはのんびりと保津川やその周辺の断崖の景色を楽しむのですが、たまに急流の箇所もあり、ちょっとしたスリリングな体験もできます。

 

ようこそ保津川下りホームページへ(保津川遊船企業組合)

 

嵐山散策

 

保津川下りの船は、嵐山の渡月橋のあたりに着岸します。そこから、嵐山の散策をしましょう。朝の新幹線で京都に着くと、だいたいこのあたりでお昼になるので、ぶらぶらしながら食事処を探すのも楽しいです。ただ、嵐山をがっつり回るとなると、1日がかりになるので、旅程に余裕があるときは嵐山散策の日としてもいいと思います。

 

嵐電嵐山駅から御室仁和寺

 

嵐山からは、市バスも出ていますがおすすめは嵐電です。京福電鉄の列車なのですが、路面電車もあり雰囲気がかなり良いです。嵐電に乗ったら、ぜひ寄り道して欲しいのが仁和寺です。御室という駅から降りてすぐです。

 

京福電気鉄道株式会社

世界遺産 真言宗御室派総本山 仁和寺

 

御室駅から北野白梅町駅から銀閣

 

仁和寺の観光を楽しんだら、御室駅に戻りそこからさらに嵐電に乗り、終点の北野白梅町駅まで行きます。ここから、市バスに乗り換え銀閣寺を目指しましょう。

 

銀閣寺から哲学の道を通って南禅寺

 

銀閣寺からは、哲学の道という散歩道が南禅寺まで続いています。歩くとまあまあ距離があるのですが、周囲にお土産屋があったり、カフェもあったりするので、途中で休憩しながらゆっくりと進むのがお勧めです。

 

youtu.be

 

南禅寺からインクラインを通って蹴上駅

 

南禅寺には水路閣があり、そこがまた良い景色なのでぜひ行ってみてください。水路閣は明治時代に作られた水道橋で、レンガ造りとなっています。今でも現役で使われていて、琵琶湖からの水を京都市内に流しています。水路閣を見たら、そのまま地下鉄の蹴上駅を目指しましょう。

 

蹴上駅から地下鉄で移動

 

蹴上駅からは地下鉄で移動できます。この辺りに着くころには夕方になっていると思うので、宿泊場所に向かうなり夕食をとるなり移動しましょう。京都駅に向かうときは市バスでも行けますが、かなり時間がかかるので地下鉄が便利です。

蟹工船を読んで

こんにちは、やなべです。

 

前回に引き続き、やなべ読書ということで今回は小林多喜二蟹工船を読んでみました。数年前にこの作品が流行って、書店に平積みされていたことがあったのを思い出して、今更ながら手に取ってみました。

 

 

物語は、北海道の沖合オホーツクに蟹を取りに行きそのまま船上で加工するという、蟹工船で働く人々が、虐げられた末に団結して立ち上がるというものです。

 

当時の状況は本当に酷く、過重労働と不衛生のために病気になっても働かされ続けて、ついには亡くなることもあり、しかもその死体は海に棄てられたといいます。ここまであからさまでなくても、現代においても、過労死という痛ましい事件もあるほどなので、あながち別世界の話とも言えないでしょう。

 

以前の私なら、そんな世界もあるのだなあくらいに思っていたかも知れません。ただ、今の自分は病気で会社員を辞めて、ご縁により体調と相談しながらアルバイトで働かせてもらっていますが、将来的なことなどを考えると、この先どういう働き方をしていくか、思うところがあります。

 

振り返ってみると、私の元いた会社というか公務員ですが、これは税収による圧倒的な財力を背景とした消費者であると思います。財力がある消費者というのは、立場としてかなり優位にあると言えます。

 

そういう世界から放り出されて、一人の人間になったとき、自分という存在はなんと無意味でちっぽけなんだろうと思いました。その絶望たるや相当なものでした。生きていくということの意味が、その日を境に変わってしまったように思います。

 

そう、生きていくための価値観を変えていかなければ、今の自分を支えていくことができないという結論に達したのです。その価値観は、以前と比べて熟達していくということです。

 

蟹工船の時代との違いは、生きていくための選択肢が現代の方が、大きく広がっているということです。何かに熟達して、自分の手で価値生産できるようになりたいという価値観に大きく転換したのです。

 

圧倒的消費者から、価値生産する立場への転換のなかに、生き方の方向性を見出したいと思うのですが、まだまだその旅は始まったばかりです。

罪と罰を読んで

こんにちは、やなべです。

 

ブログを始めて、文章力をつけるには、名文と呼ばれるものを読んだ方が良いんじゃないか、ということで久しぶりに重厚な小説を読んでみました。

 

 

読んでみて思ったのが、登場人物のキャラクターを説明するためのエピソードが長く、本筋とは何だったのかと感じるほど、寄り道が多いということです。その分、それぞれの登場人物に、本物の人間のように感情移入できるようになるのですが、枝葉を読み進めていく忍耐力が必要かもしれません。

 

この物語は、ラスコーリニコフという元学生が論文で発表した考えに従い、殺人を犯すのですが、完全犯罪に近く証拠がないため、自首しない限りは逮捕されないところ、周りの人間との関わりの中、罪の意識に苛まれていくというものです。

 

主人公が発表した論文の内容は、「人間は2つの層に分かれ、天才と凡人である。凡人は服従することで生きていくが、彼らを支配するためのものが法である。一方、天才は法を超える存在で、大義のために法を犯すことが許される。」というものです。

 

ラスコーリニコフの描写で印象に残ったのが、罪を認めて自首する方向に進んでいくにつれて、気持ちが穏やかになっていくということです。それには、彼が流刑にされてもそれを待っている存在があることも大きく関係しているようです。最終的に自らを凡人と捉えたかどうかは分かりませんが、罪に対する罰を受け入れることで、主人公と周りの数少ない仲間との関係が強固になっていくのです。

 

自分が罪を犯したとしても、傍にいてくれたり、待ってくれたりする友人や恋人がいたことは、主人公にとって何よりの救いだったはずです。これが無ければ、まったく報われれない小説になっていたことでしょう。いずれ刑を終えて、生活をしていくという未来を予感させて、この小説は終わります。

 

自分が有利な状態ときには、たしかに周りには人が集まることが多いと思います。しかし、不利な状況になったときでも傍にいてくれる人というのは、なかなかいないのではないでしょうか。それでも、損得の域を超えて行動してくれる人が現れたときに、本当に強固な関係が築かれるのかも知れません。

 

ちなみに、中田敦彦さんが動画で罪と罰のあらすじを説明しているものがあります。一発撮りでこんなにも流暢に、分かりやすく解説するのは、流石としか言いようがありません。とても分かりやすく、引き込まれるのでお勧めです。

 

youtu.be

元合唱団員がお勧めする曲集

こんにちは、やなべです。

 

私は、中学のときに合唱団に所属していました。その後も大学、社会人でも合唱に触れる機会があり、合唱曲はことあるごとに聴いてきました。そんな私がお勧めする合唱曲集です。

 

youtu.be

 

風に寄せてです。これは私自身、歌ったことがないのですが、個人的に伴奏がとても好きで楽譜を取り寄せて弾いていました。伴奏の難易度も高めですが、動画のコメントを見ると合唱としても、難しいという感想が多いようです。風が吹くように流れるような伴奏の中、とてもきれいな旋律で、最後に向かって盛り上がっていきます。

 

youtu.be

 

国学校音楽コンクールの課題曲となった曲です。学生から人気の高い、木下牧子さん作曲です。テーマが自然だったのかなと思いますが、歌詞もとっても印象的です。非常に息の長い曲で、盛り上がりが途中にあるのではなく、曲を通して最後に向かって少しずつテンションが上がっていきます。

 

youtu.be

 

ピアノの無窮連祷による混声合唱曲「生きる」です。巨匠、三善晃作曲、谷川俊太郎作詞です。伴奏が非常に難しくて、私も挑戦したのですが、途中で挫折しました。谷川俊太郎さんの歌詞は、合唱をしている人なら分かる人も多いと思いますが、どこかハマるところがあって、この曲で言えば「かたつむりははうということ」ではないでしょうか。これが分かるという方は、友達になれそうです。笑

どこにも属していない孤独感

こんにちは、やなべです。

 

タイトルにもあるとおり、最近、どこにも属していない孤独感というものを感じています。この感じは、大学生のときのそれと似ているのですが、実際は自分は大学に通っているという事実があるにもかかわらず、所属意識に飢えているのです。

 

しかも、今はさらに「世の中の普通」に乗っかっていないという感触からくる孤独感も感じています。周りの知り合いは、ごく普通に会社員をして、結婚もして、子どもがいるという年代です。自分はそれに比べて、病気で会社員を辞めてしまったし、独身です。

 

このような、二重の孤独感は一体いつまで続くのかということを不安に思うのです。

 

いずれ、病気も寛解して働けるようになれば、私も普通に戻れるのだろうか。それとも、周りと比べて孤独を感じ続けるのだろうか。いつもそんな不安に苛まれているのではなく、ふと時間ができたときに訪れるのです。

 

しかし一方で、この孤独と不安を忘れたくないという気持ちもあります。将来、状況が変わり今ほど孤独ではなくなったときに、「あの時は孤独な気持ちだった」と思い出して、状況に感謝できるようになるからです。

雨の日に映えるピアノ曲

こんにちは、やなべです。

 

雨ですね。こんな日は、外に出ることもおっくうなので、家でゆっくり過ごしたいところですが、もし家でやることがないということなら、雨の日に合うクラシックのピアノ曲を聴いてみるのはどうでしょうか。私がこれまで、弾いたり聴いたりした中から、薄暗いこんな日に合いそうな曲をセレクトしてみました。

 

youtu.be

 

まずは、ブラームスの間奏曲です。酸いも甘いも含まれるような優しさに溢れた曲です。私も弾いたことがあるのですが、大学時代にちょうど悲しいことがあり、それを癒したいと思い選択しました。当時習っていた先生からは、この曲向いていると言われてうれしかったのですが、しばらくたって悲しくもなんともないときに弾いてみたら、「前の方が良かったのにねえ」と言われました。

 

youtu.be

 

ショパンのバラード3番です。ショパンはバラードと呼ばれる曲を生涯に4曲作っているのですが、その中ではわりとサッパリとした印象があります。水の精を題材にしているらしいのですが、そんなところも雨の日にぴったりです。長い時間をかけてだんだんと盛り上がり、また鎮静して、また盛り上がりを繰り返して、最後には曲で一番の盛り上がりを迎え盛大に終わります。

 

youtu.be

 

ラヴェルクープランの墓という組曲です。流れるようなプレリュードから始まり、淡々とした流れるような曲調で進んでいきます。私自身は、ラヴェルの属する印象派と呼ばれる作曲家の曲はあまり挑戦してこなくて、楽譜まで買ったのですが譜読みの音の多さに挫折した経験があります。

ブログで何を伝えたいのか

こんにちは、やなべです。

 

毎日更新を続けているこのブログですが、ここ数日ネタに困るというか、ネタの種のようなものを、一つの記事にすることができずにいます。日々を過ごしていて、ふと思いつくことはあるのですが、それを記事にするだけの勇気が持てないのです。もしかしたら、書き始めてしまえば、記事になるような展開が思いつくかもしれません。その可能性はあるのですが、尻込みしてしまうんですよね。

 

そこで、そもそも私は、このブログで何を伝えたいのか、ということを改めて考えてみることにしました。そうすれば、伝えたいという気持ちが優先して、尻込みせずに文章と向かい合い、記事を書きあげることができるかもしれません。

 

私は、このブログで私の人生そのものを伝えたいと思っています。以前の記事で何度か書いていますが、会社員を統合失調症という病気のため、退職せざるをえなくなり、それから人生に展望が持てなくなってしまい、ついには「もうこれ以上いいことがある気がしない、どんどん悪くなっていくばかりだ」と絶望的に考える毎日でした。この現実から、一刻も早く逃れたいと思っていました。

 

しかし、次第に自分のいま置かれている状況を受け入れはしないけれど、冷静に観察できるようになりました。これはとても不思議な感覚で、ある日突然すとんと胸の中で考えが落ちるように、今まで悩んでいたことが、常に自分を抑えつけているという状況ではなくなりました。

 

もちろん、以前の悩みは今でもあります。決して、解決した訳でもないし、心の中から消えてなくなった訳でもありません。ただ、その悩みを心の中の一つの部屋に整理して、残りの部屋で別のことを考えられるようになった、というのがイメージなのです。そのとき、私の思ったことは、この不思議な体験を文章にして残しておきたい、そしてこの先私の人生の中で、気づきがあり、前へ進んでいけるのなら、その体験を他人と共有したいということです。

 

実際にブログを始めてみると、記事を書くごとに確かに見てくれている人がいます。その人たちに、私のこの人生状況から見出したことを共有したいのです。目的がなければ物事を継続することは困難です。私のブログを書こうという気持ちは、今見てくれている人に支えられているのです。

 

とはいうものの、毎日更新するごとに人生の気づきを見出していくのは、かなり無理があるということも分かりました。そんなに状況はすぐには変化しないし、前に進むスピードも速くはないからです。それでも毎日更新をするのは、毎日ブログのことを考えていたいからです。どんな記事を書こうか、今の充実しているとは程遠い生活の中で、それを考え続けるということ自体が、自分の人生を歩んでいるという感覚につながっていきます。