小林秀雄の人生論

こんにちは、やなべです。

 

先日の記事で、問題解決能力について自分は向いているのか否か、という疑問があることを書きました。現状から問題点を見つけ出してその根本的な原因をさぐり、解決策を提示して実行していく(または周りに実行させる)力なのだそうです。アマゾンで検索してみると、いわゆるコンサル会社出身の方の本が多くあり、その一つを読んでみたのですが、いまいち興味が湧きませんでした。

 

興味が湧かないということは、あまり強みにはならないのかなと思いました。いずれ必要になったときに、もし向いているのであれば、興味が湧くかもしれないので、いったん保留にして、自分の興味のままに検索していたところ、人生論というワードにピンときて購入してみた本があります。やっぱり、実益というよりは哲学的なものの方が、ブログの記事にしやすいのかなと思いました。

 

 

さて、一応2周読んだのですが、とにかく難解です。もともと、小林秀雄さんの文章は高尚すぎて読みづらいところがあると、どこかに書かれていましたが、それをこの本の著者がかみ砕いて説明しています。あまりに分からないので、アマゾンのレビューなども参考にしながら、書いてあることをまとめてみました。

 

人間は、なにかに興味を持つとき、その詳細を知っているわけではありません。なんとなく、いいなあと思って、惚れるわけです。これを小林秀雄は直観と読んでいます。直観は、自分の中に流れている伝統と呼ばれるものから呼び起こされます。

 

伝統は自分の中にある土台のようなもので、私たちの行動を制約するものなのだそうです。全くの自由で、制約のないところでは、人間は選択することもできない。制約があるからこそ、その中で自由に動けるのだと言っています。

 

そして、直観により興味を持ちそれについて詳しくなることで、熟達していきます。そして、新たな直観が生まれていくという、解釈学的循環を人間は繰り返すのだそうです。これを宿命と呼んでいます。

 

だから、何か新しいことを始めるにしても、必ずその興味を持ったときに、伝統をもとにした直観が働いており、自分が新しくなるということはなく、それらは自分の中にある土台に依って生み出されたものなのだそうです。

 

たしかに、何かを選択するときに、というか選択肢に何かが上ること自体、理論的に説明しきることはできないと思います。理由ははっきりしないけれど、なんとなく目にとまったものが選択肢となり、それについて調べてみようという気持ちで詳しくなるうちに、選択していくという流れがあります。

 

そうすると、直観が働いたときに、その瞬間を見逃さないということが大切になってくるのではないかと思います。何かに惹かれたとき、理由はないけれど目に入ってくるもの、それが自分の中の土台である伝統、今まで生きてきた中で培った文脈により選ばれた宿命につながっていくのではないかと思います。