価値生産していく生き方

こんにちは、やなべです。

 

私は、前職のときは、兎に角ものを買う仕事をしていました。学校の事務をしていたのですが、教育活動で使う物品の希望を年度末にとりまとめて、翌年度にどんどん買っていくというものです。しかし、買ったものがどのくらいの価値を産み出しているかというのは不明だったし、自分のやったことがどのくらいの価値を産み出しているのかを考えることもありませんでした。

 

それが、会社員を退職して、自分は圧倒的な消費者であることに気づきました。そして、価値生産をしてお金を手にするということの、一対一の対応を目の当たりにしたとき、自分の生きる道は価値生産にあるのではないか、という思いが強くなってきました。

 

そういう目で周りを見たときに、価値生産をしてその対価を受け取るという、言葉にしてしまえば当たり前のことですが、そういう仕事をしている姿が目に入るようになりました。単なる消費者であると同時に、いま消費している価値の背景にはどのような生産の過程があるのか、という視点を持つようになりました。

 

たとえば、ラーメン屋は、個人では手に入れることのできない量の鶏がらや豚骨を仕入れて、大きな寸胴でスープを作る。これを美味しいと思ったお客さんが、ラーメンに価値を感じてお金を払う。また、ユーチューバーは、企画から撮影、演者となり編集に至るまでをこなして、視聴者が面白いと思う動画を作り、それを見てもらうことで広告収入を得る。楽器屋の修理工の人は、不具合のある楽器を自分の技術でメンテナンスして、問題なく演奏できる楽器を提供することで対価を得る。

 

いずれも、価値のあるものを生産して、それを提供することで対価を得て生活をしています。そんな風に、自分も消費者に価値を認められるようなものを生産するという生き方をしていきたいと思っています。そして、なんとなくですが、それは形あるものである方が、自分に合っているように思うのです。

 

以前読んだ本で、アフリカのナッツ工場を創業して経営した佐藤芳之さんの本にこんなことが書いてあったのを思い出しました。

 

 

そこには、タンジブルという言葉が紹介されていました。タンジブルというのは、触れることのできるものという意味で、タンジブルなものの価値は、言葉で説明しなくても、それに触れたときに伝わるのだそうです。

 

少し拡大して解釈すると、説明しなくてもその良さが分かるもの、ということでしょうか。そのものの良さが、五感や感性を通してダイレクトに心に突き刺さるものを作れば、価値を認めてもらえるということです。