人間の建設を読んで〜天才たちの対談

こんにちは、やなべです。

 

以前、小林秀雄さんの人生論をまとめた本を読み、人間は何かを選択するときに、まずは直観と呼ばれるインスピレーションのようなものから、なんとなく興味を惹かれるという過程があるという記事を書きました。この直観を見逃さないようにして、人生の選択をしていくことの重要性が述べられていました。

 

小林秀雄さんの文章は難解で、理解するのがなかなか難しいところがあります。しかし、だからこそ、何か自分の想像もしない本質に触れることができるのでは、という興味をそそられ、読んでみようと思わせるものがあります。その流れで、今回は、岡潔さんという天才数学者と小林秀雄さんとの対談を読んでみました。

 

 

天才同士の対談ということで、やはり理解できないところが出てきたり、前提知識がないと難しいところもありました。なので、自分の理解が及んで頭が動いたところを抜粋して紹介します。いずれは、勉強を続けて、もう一度この本に戻ったときに、理解できる箇所が増えればいいなと思います。

 

難しいことが面白い

 

人は極端なことをやれば好きになるという性質を持っているといいます。簡単なことよりも、難しいことにがむしゃらに取り組んでいくうちに、それが面白くなっていく。例として野球選手が挙げられています。奥が深く、一筋縄ではいかないから、練習を必死に続ける。それが学問なのだそうです。奥が深いものは、たいてい難しいのです。

 

確信したことを文章にすること

 

岡潔さんの文章は、確信したことしか書かないということを、小林秀雄さんは指摘しています。小林さんによれば、世の中の文章は確信したことが書かれていることは、むしろ稀なのだそうです。そして、確信が書かれていない文章は面白くないとも言っています。誰が何を言おうが自分としてはこうとしか思えないというのが直観なのですが、それを確信として行動するのと、誰かから言われてその通りにするのとでは雲泥の差があるのです。

 

素読の重要性

 

岡潔さんは、かつて寺子屋で行われていた、素読が良いものであると言っています。素読とは意味を理解せずに、そのまま読み進めることです。寺子屋では、論語素読して暗唱していたそうなのですが、これにより古典作品のすがたを見るということが、現在の教育では行われていないのです。理解できないことを恐れて、何でも分かりやすく理解させようとすることが正しいのか。分からないことがあり、それはそれとして置いておいて、いつか理解できるようになるのを待つという考え方が良かったのではないか、と主張しています。

 

一貫したテーマの一つとして、難しいことや理解できないことに触れていくことの重要さが、語られていると思いました。理解できないという状態はたしかに気持ちの悪いものですが、それは現代教育において、私たちが理解することのみを追求してしまった結果とも言えると思いました。理解できないことを恐れずに、長い時間をかけて真剣に理解していく。そうしているうちに、物事が好きになっていくのかも知れません。