こころを読んで

こんにちは、やなべです。

 

先日の記事で、太宰治人間失格を取り上げました。人間失格は、日本で最も読まれている小説のひとつで、それと双璧をなすのが夏目漱石のこころです。私の高校時代に教科書に掲載されていて授業で取り扱ったのですが、ざっくりとした内容以外は忘れてしまったので、もういちど読んでみようと思いました。

 

 

大学生であるこの小説の主人公は、鎌倉で先生と呼ばれる人物と出会います。先生は穏やかで教養もあるのですが、どこか暗い過去を背負っているような陰のあるところに主人公は惹かれていきます。先生の妻の静によれば、昔はもっと明るい人であったとのこと。疑問に思った主人公は過去の話を先生に訪ねてみるのですが、信頼するあなたにいずれお話しますとだけ言われて、その場では答えてくれません。

 

主人公は、父の危篤の知らせを受けて、先生のいる東京から実家へと帰省します。その矢先、明治天皇崩御乃木希典の殉死があり、時代が変わろうとしているときに、父の体調も悪化していきます。実はこのタイミングで、先生は自殺をします。そして、主人公は、自分のもとに届いた先生の遺書から、先生の過去を知ることになるのです。

 

遺書に登場する人物は、主に次のとおりです。

  • 先生:当時大学生で東京に下宿をしている。
  • 先生の友人:金銭の困難のため、先生が下宿に引き入れる。
  • 下宿先のお嬢さん:現在の先生の妻

遺書には、この三人をめぐる恋愛関係が語られていました。

 

先生の友人は、勉学に非常にストイックで恋愛など無縁の存在であったのですが、あろうことか下宿先のお嬢さんに恋をします。その気持ちを伝えられた先生は、友人がこの恋を諦めるように仕向けます。なぜなら、先生もまた同じ女性のことが好きだったからです。そして、先生は友人よりも先に結婚を申し込んでしまいます。友人は、その後自殺をしますが、その原因は誰も分かりませんでした。

 

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さて、二人の自殺の動機とは何だったのでしょうか。まず、友人の方は、失恋と友の裏切りが直接の動機というのは、なんとなくそれだけでは理由として納得できないところがあります。実は、物語の途中で友人は自殺を考えていることを仄めかす場面があります。それは、おそらく自分の生き方に自信が持てなくなった、ということなのではないかと思います。

 

友人は勉強して自らを向上させることのみを生きがいにしてきました。ところが、大学生となり下宿をして、実家との不和により仕送りを止められて生活困窮します。そのような身の上で、ふと将来への不安と孤独を感じたのではないでしょうか。ストイックな性格から、今までの自分を変えることは、友人にはどうしてもできなかったのです。それでも、静への恋心を抑えることができず、自分を恥じていたところに、向上心のないやつは馬鹿だ、という言葉をかけられ、いよいよ自分を追い詰めていったのではないでしょうか。

 

先生の自殺の方はどうでしょうか。先生は人間の醜さに人一倍敏感でした。もともと先生は資産家の息子だったのですが、両親の死後、叔父に財産の管理を任せたことにより、使い込まれてしまいます。信用していた人が、何かのきっかけに悪人になることを、先生は恐れていたのです。しかし、静をめぐって先生は、友人を蹴落としてでも静を手に入れようとしました。他でもない、自分が悪人になったことで、生き方が変わってしまったことに、先生は耐えられなかったのです。そんなときに、明治天皇崩御という時代の終わりに接して、自殺を決行したのではないでしょうか。

 

誰にでも、こころの中に生きる軸のようなものがあります。その軸は人生を生きる指針のようなものです。指針に沿っているときにはあまり感じないかも知れませんが、何かの拍子に指針が無くなってしまったり、それに沿えないような事態になると、人間は露頭に迷うことになります。そのときになって初めて、軸の存在に気づくこともあると思います。

 

軸というのは、アイデンティティと言っても良いかもしれません。自分が自分である故は、所属している組織だったり、時代だったり、信条だったりします。時代が変わるときに不安が起こるというのは、自分のアイデンティティが揺らぐからなのだと思います。そんなときに、人は孤独を感じます。孤独を感じる人は、生きる指針を無くしてしまった人なのかも知れません。

 

しかし、ここで必ずしも悲観するのみではないとも感じます。新しいアイデンティティの獲得を目指すというやり方もあるのではないでしょうか。それには、時間と労力と柔軟性が必要になります。これまでのアイデンティティが否定されたとしても、そこから生まれた現在の自分がいることは間違いありません。その上で、新たな軸を設定できるかどうか、自戒を込めて言えば、そこに生きる道を模索するのも、決して間違ったことではないと思います。