雪国を読んで

こんにちは、やなべです。

 

今回は、川端康成の雪国を読みました。誰もが美しいとみとめる日本語が読みたい、そう思い手に取りましたが、たしかにどの箇所を切り取っても、情景をはっきりと想像させる、まるで映画をみているような気分になりました。特に物語最初の汽車のところ、そしてなにより最後の雄大な天の河の描写が、物語の突然の終わりと両輪をなすように、読了したときの記憶に印象的に残ります。

 

この物語のあらすじを起こそうと思い、試しに書き連ねてみると、どれもが重要でうまくまとめることが難しいことが分かりました。それはおそらく、視点である島村がたまにしか訪れない雪国の、物語では語られない部分が膨大にあることを意味しています。それでも、骨格のところを繋げてなんとか、話のつながりを追ってみたいと思います。

 

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親の遺産で暮らす、妻子持ちの島村は列車でとある雪国を訪れます。そこには、懇意にしている駒子という芸者がいるのです。駒子との出会いは前回の訪問のときに遡ります。このとき芸者手伝いの駒子は、座敷を訪れて島村と情を通じる間柄になったのでした。

 

駒子は否定しますが、彼女には踊りの師匠の息子である行男のいいなずけであるという噂がありました。一方、行男は病気のため、故郷である雪国にある女性と帰省するところ、島村とたまたま列車を同じくするのでした。あとからその女性は、駒子の知り合いであり、名前は葉子ということが分かります。

 

島村は駒子が日記をつけていることを知ります。そこには、読んだ小説の登場人物と関係が書かれており、島村はそれを徒労だと感じます。すると、駒子の身の上も、ついには自らの生き方にも徒労を感じると同時に、知りあいになった葉子が、それを見抜いているのではないかと思い、狼狽します。

 

駒子の見送りで、島村が東京に帰るとき、葉子が行男の危篤を告げにきます。しかし、駒子は行男のもとには向かおうとせず、島村の説得にも応じません。結局、駒子は行男の最期に立ち会うことはありませんでした。

 

島村は再び雪国を訪れます。前回の訪問のあとに行男が亡くなったことを知り、駒子を墓参りに誘うのですが、駒子は、自分には関係のないことだと怒りだします。なんとか説得して、途中で合流した葉子と三人で墓の前に立つのですが、駒子は最後まで手を合わせようとはしませんでした。

 

その後、葉子が島村のもとを訪れます。葉子は島村に、駒子のことをよくしてやってくれとお願いしますが、島村はどうもしてやれないと答えます。すると、今度は自分を東京に連れて行ってくれるように頼みます。島村はなぜそうしたいのかと尋ねると、以前駒子が葉子に、あなたはこのままでは気がちがってしまうと忠告したと言い、葉子は駒子を憎く思います。

 

このことを島村は駒子に話します。すると駒子は、葉子のことを荷物であると言い、葉子を東京に連れて行ってくれと言います。島村は、それを聞いて駒子にいい女だと言います。島村は、純粋にそう言ったつもりなのですが、駒子には女として、という意味に聞こえて、ばかにされていると思い、悔しくて泣き出してしまいます。

 

島村がそろそろ東京に帰ろうとしているとき、駒子と外を散歩していました。ちょうど、夕刻になったとき、町で火事が起きます。慌てる二人ですが、ふと空を見ると天の河に体が浮き上がっていくように感じます。そのとき、火事のある建物の二階から、葉子が落ちてきます。駒子は駆け寄り、葉子を抱え込みますが、それを見ていた島村は、駒子が自分の犠牲か刑罰を抱いているように思います。