伊豆の踊子を読んで

こんにちは、やなべです。

 

相変わらず、川端康成の作品を読み漁っています。川端作品には短編も幾つかあり、その中でも一番有名なのが伊豆の踊子です。踊子が、主人公の学生である私にとても懐いており、私もその純朴さに触れて心がほぐれていくという物語なのですが、傍から読んでいてもその光景は微笑ましいものがあり、何度も映画化されて当時のアイドル的存在の女優が踊子役をしていたのも頷けます。短編なのであっという間に読み終わってしまうのですが、だからこそ儚い物語が一層際立ってているようにも思いました。

 

 

主人公の私は、伊豆にひとり旅をしていました。恰好は、高等学校の制帽をかぶり、紺の地に白いかすりの模様がついている着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけているというものでした。私はこの旅行の途中で、とある旅芸人の一行を何度か見ており、今の天城峠の茶屋で彼らを見かけたときは、期待通りと胸が躍りました。一行の中にいた踊子が、私が立っているのを見つけると、自分の座布団をはずして裏返して私のそばに置きました。踊子は十七歳くらいに見えました。

 

私が茶屋の奥の部屋に通されて、店のお婆さんと話をしているうちに、一行は出発したようで、私も後から追いかけたのでした。すぐに私は一行に追いつきます。しかし急に歩調を緩めるわけにはいかないので、そのまま追い越したところ、先に一行のうちの男性がいて、お足が速いですねと声を掛けられます。男性と私が歩きながら話し始めたので、後ろから女性たちが追いかけてきました。一行は大島の出身であることが分かりました。私は下田まで一行といっしょに旅をしたいと男性に申し出ると、男性は喜びます。

 

湯ケ野に泊まることになったとき、私は宿屋の二階で荷物を下ろしました。そこに踊子がお茶を持ってきたのですが、ひどいはにかみようで、手が震えてお茶をこぼしてしまいました。私は一行と同じ宿に泊まると思っていたのですが、男性は私を別の温泉宿に案内しました。その夜、太鼓の音が雨音に紛れて聞こえてきました。一行が宿の向かいの料理屋のお座敷に呼ばれていることが分かりました。

 

翌日の朝、私は男性と風呂に入ると、湯殿から踊子が手ぬぐいもない裸の姿で両手をいっぱいに伸ばして何かを叫んでいます。私は踊子は子どもだったのだと思い、微笑が止まりませんでした。頭が拭われたように澄んだ心地がしました。踊子が十七歳くらいかと思ったのは、私の思い違いだったのです。その日は踊子と五目並べをしたり、踊子が三味線を習っているところを見たりして過ごします。好奇心もなく軽蔑も含まない、彼らが旅芸人という種類の人間であることを忘れてしまったような、私の好意は彼らの胸にも沁み込んでいるようでした。

 

その翌日の朝、出発のときでした。湯ケ野を出るとまた山道に入ります。ふと後ろを歩いている踊子と千代子の会話が耳に入りました。どうやら私の噂話をしているようで、踊子は私のことをいい人ねと言っています。私自身にも自分がいい人だと素直に感じることができました。私は自分の性質が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ねて、その息苦しい憂鬱に耐えきれなくて伊豆に旅をしに来たので、自分がいい人に見えるということはとてもありがたいことなのでした。

 

甲州屋という下田の宿は北口を入るとすぐでした。映画に連れて行って欲しいと踊子は言います。私は次の日の朝に船で東京に帰らないといけないのでした。踊子は映画に連れて行ってもらえるように私にせがんだのですが、母親が承知しませんでした。私はひとりで映画に行きました。映画を見て宿に戻ると、踊子の太鼓の音が聞こえてきました。わけもなく涙がこぼれました。

 

次の朝、栄吉が私を見送りに来ました。乗船場に着くと、海際にうずくまっている踊子の姿が見えました。そばに行くまで彼女はじっとしていて、私に頭を下げました。そこへ土方風の男が私に近づいてきて、同じ船に乗るお婆さんを東京まで送り届けてくれないかと頼みます。私は快く引き受けます。踊子はやはり唇をきっと閉じたまま、一方を見つめていました。私は乗船するときに、踊子にさよならを言おうかと思いましたがやめて、頷いてみせました。

 

船内で私はカバンを枕にして横たわっていました。涙がぼろぼろ出てきました。泣いているのが人に見られても構いませんでした。私は何も考えず、清々しい満足の中に眠っているようでした。頭は澄んだ水になってしまっていて、それが涙となってぼろぼろとこぼれ、そのあとには何も残らないような甘い快さなのでした。