私という人間の紹介

はじめまして、やなべです。この名前は、前職の同期にそう呼ばれていたので、使わせてもらうことにしました。(自分では結構気に入っている)

 

夏も終わりに近づき、現在深夜0時すぎ。このブログを、そっと誕生させようと思います。深夜のテンションで作ったと思われる方もいるかもしれませんが、そうではありません。

 

私は、もともと公務員をしていて、統合失調症という病気を機に退職をしました。そこから数年、何のやる気もなく、ただずっと、控えめにいって将来に絶望しながら過ごしていました。

 

人生安泰といわれる公務員となり、紆余曲折を経ながらも何気に充実した生活を送ってきました。収入にも不満はなく、生活も好きなときに好きなものを食べて(そんなに贅沢しなければ)、大好きなお酒も飲み歩いたりしていました。今思えば、仕事のストレスを発散していただけなのかもしれませんが、それ含み、結構がんばっている自分が好きでした。

 

転機が訪れたのは、今から約3年前のことです。職場にいると、どうも周りから声が聞こえてくるのです。不思議な感覚ですが、正確にいうと、周りの人が立てる音から音声が聞こえてくるのです。うーん、説明になっているかな。この説明だけで、どれだけの人がわかってくれるのかは謎ですが、とにかくそういう状態でした。

 

初めは聞こえるなーくらいにしか思わなかったのですが、そのうち周りの音声は、私を攻め始めました。「やなべは終わった」「さっさと退職してしまえ」などの幻聴が襲ってくるようになったのですが、私としてはそれが異常な状態とは認識できないでいました。

 

そうなんです。そこが統合失調症の恐ろしいところなんです。幻聴がなぜか、普通のことのように思えてしまうんです。当時、私は他の理由(ぶっちゃけてしまうと、抑うつ状態といううつ病一歩手前の状態)で、精神科にかかっていました。主治医に相談しようと思えばできたのですが、なぜか私は、当時の自分は正常で、周りの音声を出してくる人たちを受け入れてしまっていたので、(なんという泣けるほどの順応力)自分の異常さを主治医に伝えることができませんでした。

 

そんなこんなで、私は退職をすることになりました。なんということでしょう。上司に退職の意向を伝えて、「周りの人が私を攻めてきます。辞めます。」みたいな異常な理由を突き付けたところ、上司は「休職したらどう?」と言ってくれたのですが。私の頭は、自分を責める音声との決別(音声は会社の重大な秘密だと当時思っていたので、退職すればそこから逃れられると思った)しか考えなくなっていました。

 

さて、晴れて無職となったやなべですが、そこからがまた大変でした。音声は、なんと退職しても続いていたのです。(そりゃそうじゃ)私は実家に帰ったので、両親から近くの精神病院に転院させられました。そこでは最初診断名は伏せられていましたが、そのうち統合失調症という名前が出されることになるのです。

 

統合失調症という病気は、脳の機能異常により幻覚や妄想を生んだり(これを急性期という)、逆に何の感情もなくなったり(これを慢性期という)する病気です。幸い私は、拗らせきる前に統合失調症の診断がなされて、薬が処方された結果、急性期の症状は治まってきました。なんだ、幻聴だったんだ。そう気づいてしばらくしてから私はある重要な事実を目の当たりにするのです。

 

そうだ、公務員辞めてたわ。やなべ、公務員辞めたってよ。

 

絶望しました。なぜ自分がこんな目に合わないといけないのか。理不尽すぎると思いました。統合失調症の急性期で妄想にとりつかれているあいだは、音声との対話を楽しんでいたので(なんと楽しんでいたんです、たいした順応力)妄想の世界でほわほわしていたのですが、それが終わり慢性期になると、今度は感情の希薄化と脱力感に襲われて何もする気が起きないという状態になりました。

 

当然、次の仕事を探しました。まず見つけたのは、音楽配給会社(という名前で合ってるかわかりませんが)でした。当時の私は正社員というところにこだわりを持っていたので、転職サイトで正社員求人をあさり、もともと興味のあった音楽業界に転職しようと思い、応募しました。いやしかし、面接を受けてみるとどうも社長の最近始めた趣味である、骨とう品売買の手伝いをさせられるとのことで、そんなのやりたくないなあ、と思い辞退しました。

 

次に見つけたのが大学職員の非常勤でして、それはとある方からの紹介でした。当時はまだ一般雇用(自分が統合失調症であるということを伏せて応募する)にこだわっていたころでした。実際にやってみると、あら不思議。まったく気力も体力もなくなっていたのです。あとから聞くと、これが統合失調症の慢性症状だということなのですが、ちょっと社会復帰が早かったのかもしれません。そこも逃げるようにして、退職しました。

 

さすがに一般雇用では歯が立たない。そう思った私は、障がい者としての就職活動をすることを決意したのでした。まあ、決意というかっこいいワードを使いましたが、要はそうしないと就労継続できないってことです。あと、面接時に必ず聞かれる「安定の公務員を退職した理由は?」という質問に、まっすぐに答えられる自信がなかったからというのもあります。(障がい者雇用なら「統合失調症の症状により辞めました」と言えるのですよね)

 

ここがです。ここがですよ。私のまず越えなければいけないところでした。自分が障がい者?そんなことない。やなべはわりかしいい大学を出て、天下の地方公務員になった男だぞ!という気持ちがふつふつと沸き上がり、怒りというか悲しみというか現実を受け入れられないとか、そういうドロドロした心のありようを落ち着かせて次のステップに進まなければいけなかったのです。

 

でもね、そんな気持ちを落ち着かせる方法なんてないんですよ。ただ、気持ちが受け入れることを待つだけ。もっと正確にいうと、障がい者雇用としての自分の活動をしながら(心が「そんなことはしたくない!」と叫ぶのを横目に見ながら)現実を進めていき、心が落ち着くのをただひたすらに待つという、心と行動が乖離する状況を続けるということが必要になります。

 

これがつらかった。種明かしをしてしまうと、私がこの乖離と向きあい、つまりそれは心が現実を受け入れ始めたということなのだけど、そうなったのはつい最近のことなのです。ある日、その気持ちはすとんとやってきました。まあ、それはまだ先の話です。それまでは、心の叫びと別なことをしなければなりませんでした。

 

話を元に戻すと、障がい者としての雇用を目指すことを余儀なくされた私は、障がい者の就職活動をするための、就労移行支援という場所で活動することになりました。(まあ自分で申し込んだんですが)

 

就労移行支援での私は、明らかに問題児でした。なんたって、自分が障がい者ということを受け入れることができず、「なんで公務員辞めたんだろう」と言い続けるような人だったからです。まったく次のステップに進んでいません。でも、そこは仕方がないことだと、今では思っています。ここに書くかどうしようか迷っていたのですが、とにかく就労移行支援の日々は苦痛でした。言っちゃったよ。

 

就労移行支援って何をするかというと、まずは社会人としてのマナーを身に着けることから始まります。支援職員の人が講師となり、敬語の使い方から身だしなみの整え方まで教えてくれます。あー、かったるいと思っていました。そして、それが終わると今度は自分の気持ちとの向き合い方みたいな講座があり、それもかったるかったです。そもそも向き合い方を習っても、制御できる問題ではないと当時思っていたのですが、あながち間違いではなかったです。とにかく、それらのプログラムが嫌で嫌でしょうがなかったです。

 

それが終わると、訓練というものがあって、仕事を模したエクセルの入力作業だったりとか、そういう半ば実践的と言えなくもないことをすることになります。

 

私はやらなかったのですが、近くにいたべつの就活生が「ボールペンの解体」という恐ろしい訓練をさせられているのを目の当たりにしたときは、自分は一刻も早くここから出ないといけないと思ったものでした。ボールペンの解体というのは、まず大量のボールペンを渡されて、それを解体します。次にそれを元に戻します。これらの作業は時間を計られていて、ある一定時間に何本のボールペンを解体し、もとに戻したのかという記録をつけさせられます。

 

昔ある国の拷問で、右手に砂を持ちそれを左手に移し替え、また右手に戻すというものがあったそうです。それを繰り返しているうちに拷問を受けた者は、「もうこんなことをさせるのは止めてくれ!なんでも話すから」となるらしいです。私は、ボールペンの解体作業を見てその話を思い出したものでした。

 

しかし、そんな嫌なことづくめの就労移行支援でも、あとから思えば問題児の私になんとか就職に前向きな方向にもっていきたいと画策してくれたスタッフの方には、本当に感謝でしかありません。仕事とはいえ、ずっと「なんで私は公務員を辞めたんでしょう」とか言って就活に意欲を示さない人を相手にするのは大変だったことでしょう。そんなこんなをしているうちに、あっという間に1年間が過ぎ、とある転機が訪れることになるのです。

 

私の親戚に楽器店を経営する人がいて、そこで働かないかと言われたのです。これはうれしかったです。

 

まず、自分を雇ってくれると言ってくれたこと。前職を退職してからは、私はまったく自信を無くしていました。統合失調症陰性症状もあるのだと思いますが、何をやってもうまくいかないだろう、続かないだろうという気持ちがあったのです。しかし、そんな私に声をかけてくれたということは、少なからず何かができると思ってくれたということです。

 

そして、楽器店という音楽に関係する仕事であったこと。前にも書いた通り、私は趣味として音楽と触れ合ってきました。幼少からピアノを習い、中学では合唱団に入り、大学ではピアノサークルに所属していました。これなら、自分の興味を生かせるのではないかと期待に胸を膨らましました。

 

あれよあれよという間に、私の新しい就職先が決まりました。そして、私に与えられた仕事は、入荷した商品を検品して、各店舗あてに仕分けをしてその内容を伝票に書き込むというものでした。初めのうちは、細かい部品の違いがわからなかったり、そもそもこれは何に使う部品なのかがわからなかったりしながら、悪戦苦闘しました。その過程は、いろいろあるのですがここでは割愛して、またの機会に。

 

しかし、そんなこんなでもがいていると、ある日突然、「あ、だいたい分かるようになってきた」という感覚が生まれるのを感じました。これは、かなり明確にわかる瞬間だったのでよく覚えています。そして思い出しました。何かに熟達する瞬間、一歩進む瞬間が楽しいと思えるんだよなあということに。勉強でもピアノでも何でも、その瞬間が訪れたときに、次に進もうという気持ちが生まれるのです。

 

そしてそのとき、過去の自分に執着する気持ちがやわらいでいくのを感じました。正直驚きました。前に進むという感覚は、気持ちを現在に集中させる力を持っているのだと思いました。そんなこんなで、今があります。私はここからさらに一歩進めたいと考えています。そのために、このブログを開設しました。

 

とりとめなくなってしまいましたが、私の紹介はこんな感じにさせていただきます。