同志少女よ、敵を撃てを読んで

こんにちは、やなべです。

 

このブログを始めた頃から、名文とはどんなものなのかが知りたくて、文学史で有名な作品を読み漁ってきました。そこでは、川端康成の美しい日本語に触れたり、太宰治の巧みなストーリー展開に引き込まれたりという体験をしてきました。さて次は何を読んでみようかと考えて、夏目漱石草枕などに手を出してみたのですが、文章が難解でなんとも読みづらい。そこで、ここらで一区切りを考えて、現代の小説にいったんシフトしようかと思います。どんな小説を読もうかとインターネットで検索していたら、本屋大賞なるものを見つけました。

 

今回読んでみたのは、今年の本屋大賞を受賞した「同志少女よ、敵を撃て」です。舞台は、第二次世界大戦下のロシア西部地域で、ドイツの侵攻に立ち向かう女性狙撃手がこの物語の主人公です。読んでみると、なかなか読みやすくて、先が気になりどんどん読み進めることができました。特に最後の数ページは、今までの伏線が回収されるような納得感があります。また、題材が現在の政界情勢とも重なり、どこか遠い世界の話と割り切ることはできず、現実感を伴った重さがあるのも特徴です。

 

 

物語は、ロシア西部のとある小さな村から始まります。その村には、セラフィマという少女がいました。セラフィマは、母親から狩りを習いながら暮らしていました。村にはセラフィマと同年齢の男の子がいて、名前はミハイルといいます。村の誰もがセラフィマとミハイルは将来結婚するものだと思っていますが、そのミハイルはソ連とドイツの戦争が始まると志願兵として戦場に出ていきました。突如として始まった戦争でしたが村の暮らしは変わりありませんでした。

 

セラフィマは、村一番の狩人でしたが学校の成績も良かったため、この秋にモスクワの大学に入学することが決まっていました。セラフィマは外交官となり、戦争が終わった後はドイツとの友好に尽力したいと考えています。その日も、セラフィマは母親と狩りに出かけていて、一匹の鹿を仕留めました。一撃で頭を打たれた鹿は、体を震わせることもなく四肢を伸ばして即死します。それを見たセラフィマは、死骸は生きているものと形は変わらないのに、一目で命がないと分かるのは何故なのかと思います。

 

狩りが終わり帰る途中、セラフィマと母親は村の異変に気付きます。いつもの老人の薪割りの音がせず、代わりに村にはない車のエンジンの音が聞こえます。そのとき、村から叫び声が聞こえます。ドイツ兵が村を占拠していたのです。村人は、ドイツ兵の言われるがままに並ばされています。セラフィマと母親は、ドイツ兵に気づかれないように腹ばいになりながら、村が見渡せるところに移動しました。ドイツ兵は、この村にゲリラ兵がいるはずで、名乗り出ろと叫んでいます。

 

村の老人が、そんな人はこの村にいないと言いかけたとき、ドイツ兵は老人に向かって銃を発射します。老人はそのまま崩れ落ちました。このままでは、村の人が皆殺しにされてしまうと怯えるセラフィマに、母親は銃を貸してくれと言います。母親が照準をドイツ兵に向けたとき、母親は何者かにより狙撃され、頭を打ち抜かれます。その銃声と合わせるかのように、村人はドイツ兵に惨殺されていきました。

 

セラフィマもドイツ兵に見つかり、村に連行されます。そして、セラフィマの額に銃口が突き付けられ、もはやこれまで自分も死ぬのかと思い目をつぶったときに、外から銃声がします。目を開けると、そこにはドイツ兵の死体がありました。ソ連赤軍が現れたのです。憔悴しきったセラフィマの前に、赤軍の女兵士が現れます。女兵士はセラフィマに、戦いたいかそれとも死にたいかと聞きます。

 

村の人も家族も皆死んで、私も死にたいとセラフィマが言うと、女兵士は家のものを片っ端から壊していき、セラフィマの母親の遺体に火をつけたのです。怒りのあまり、セラフィマが銃を女兵士に向けようとした瞬間、女兵士はセラフィマのみぞおちを蹴り上げます。セラフィマは、ドイツ軍もあなたも殺して敵を打つと言います。女兵士は狙撃兵訓練所の教官でした。そしてセラフィマをそこの訓練生にすると言います。女兵士は、イリーナと名乗るのでした。

 

この後は、本を手に取って読んでみることをお勧めします。狙撃訓練所ではどのような訓練が行われ、そしてどのような出会いがあるのか。また、セラフィマはそこで何を学んでいくのか。さらに、訓練所を卒業して戦地に赴く狙撃兵たちはどんな惨状を目の当たりにするのか。戦地での仲間の死とどのように向き合っていくのか。その後、セラフィマは母親を狙撃したドイツ兵と巡り合うことになるのですが、親の敵を打つことはできるのか。その目で、ぜひ確認してみてください。