蟹工船を読んで

こんにちは、やなべです。

 

前回に引き続き、やなべ読書ということで今回は小林多喜二蟹工船を読んでみました。数年前にこの作品が流行って、書店に平積みされていたことがあったのを思い出して、今更ながら手に取ってみました。

 

 

物語は、北海道の沖合オホーツクに蟹を取りに行きそのまま船上で加工するという、蟹工船で働く人々が、虐げられた末に団結して立ち上がるというものです。

 

当時の状況は本当に酷く、過重労働と不衛生のために病気になっても働かされ続けて、ついには亡くなることもあり、しかもその死体は海に棄てられたといいます。ここまであからさまでなくても、現代においても、過労死という痛ましい事件もあるほどなので、あながち別世界の話とも言えないでしょう。

 

以前の私なら、そんな世界もあるのだなあくらいに思っていたかも知れません。ただ、今の自分は病気で会社員を辞めて、ご縁により体調と相談しながらアルバイトで働かせてもらっていますが、将来的なことなどを考えると、この先どういう働き方をしていくか、思うところがあります。

 

振り返ってみると、私の元いた会社というか公務員ですが、これは税収による圧倒的な財力を背景とした消費者であると思います。財力がある消費者というのは、立場としてかなり優位にあると言えます。

 

そういう世界から放り出されて、一人の人間になったとき、自分という存在はなんと無意味でちっぽけなんだろうと思いました。その絶望たるや相当なものでした。生きていくということの意味が、その日を境に変わってしまったように思います。

 

そう、生きていくための価値観を変えていかなければ、今の自分を支えていくことができないという結論に達したのです。その価値観は、以前と比べて熟達していくということです。

 

蟹工船の時代との違いは、生きていくための選択肢が現代の方が、大きく広がっているということです。何かに熟達して、自分の手で価値生産できるようになりたいという価値観に大きく転換したのです。

 

圧倒的消費者から、価値生産する立場への転換のなかに、生き方の方向性を見出したいと思うのですが、まだまだその旅は始まったばかりです。