私は人生で勝ちたい

こんにちは、やなべです。

 

人生で勝つ、なんていうとなんともアグレッシブな感じがしますが、私は勝ちにこだわって今まで生きてきました。でも、だれかと面と向かって勝負するというのは、あまり好きではありません。なんだか矛盾するようにも思われますが、勝つということの解釈が、いわゆる勝負ごとと違うのではないか、と最近思い始めました。

 

前職の職場では、勝負にこだわる人が多かったように思います。これは、私にとってはあまり居心地が良い環境とは言えませんでした。同じ組織の中なのに、その中で勝負をして負けると肩身が狭くなる、そんな雰囲気さえしていました。もっと、皆で高め合えば良いのに。勝負をしている暇があったら、協力した方が組織として良いアウトプットが出せるのではないか。そう思っていました。

 

でも、私は勝ちにこだわるんです。

 

私にとって勝つというのは、自分の満足するアウトプットを出すということです。たとえば、ピアノの練習をして曲全体がまとまって、細かいところも綺麗に音が出るようにすること、公務員試験の勉強をしてできるだけ高い点数をとること。できることなら、何かの形になって残るようなもの。

 

だから、人生で勝つというのは、自分の満足するものをアウトプットし続けることだと思います。そこに、他人の評価がついてきたら、なおうれしい。

勉強とは熟練するということである

こんにちは、やなべです。

 

私は、元公務員をしていました。統合失調症という病気で退職をすることになったのですが、それは仕事がうまくいかないというストレスから、知らず知らずのうちに心身にストレスがたまり、爆発したものではないかと今振り返って思います。

 

とにかく公務員の仕事というのは、上司の右腕左腕となり組織をとりまく状況を見ながら自分の行動を決定していかなければならない、悲しいかな私の最も不得意とする内容でした。総合職と言われる仕事は、たぶんこの部類になるのではと思いますが、そういう世界で私は息ができずにあぷあぷしていました。

 

私にとって、上司への報告連絡相談が最も苦手とするもので、間が悪いらしく、よく「やなべは報告しなくてもいいことを報告し、報告すべきものが上がってこない。あと今忙しいから報告しないで。」と言われていました。じゃあ、いつ報告するの?という感じでしたが、周りの職員はとても優秀で上司とのコミュニケーションをしっかりと取っているようでした。

 

どうしても仕事ができない私でしたが、公務員になるときはけっこう良い成績で入ることができました。公務員になるには試験を受ける必要があるのですが、その対策はきちんとして結果を出すことができた訳です。社会人にとって、「勉強はできるんだね。」という言葉は、「仕事はできないんだね。」の裏返しで、言われると悲しくなってしまうのですが、それが私です。

 

だから今回は、勉強で結果を出すということを掘り下げて、自分の得意なことを生かすにはどうしたら良いかを考えることにします。(ポジティブだろ?)そして、これを読んでいる人がいるならば、その人に勉強で結果を出す方法をお伝えできればと思います。

 

さて、結論から言えば勉強で結果を出すということは、技能と知識を熟練させるということと等しいと思います。頭で考えるのではなく、考えなくても自然と出るようになるまで反復練習をするということなのです。技能で言えば、「手が覚えている」とかそういう感覚になります。

 

逆に言えば、頭で考えているうちは、まだ熟練していません。頭で考えるというのは新しいことを身体に覚えさせる最初の段階だということです。勉強が苦手と嘆いている人は、頭で考えれば勉強ができるようになると考えている傾向にあります。

 

たとえばです。スマホの文字入力を頭で考えながら、「そうだなあ、『い』と入力したいから、あ行の2番目の『あ』をどちらにフリックしたらいいだろう。」と考えているのは、たぶん初めてスマホに触れる人ではないでしょうか。慣れてくれば、指が勝手に動きます。スマホに慣れている人が、考えながらフリックすることはありえないのです。

 

勉強も実はこれと同じです。とにかく、同じような問題を繰り返して解くこと。そして分かったという段階で止めないこと、これが重要なのです。分かったではなく、手が勝手に動くという段階まで進めてこそ、試験で結果が出せるようになるのです。試験というのは、いわゆる作業ゲーなのです。

 

私は、とにかくこの作業ゲーが好きです。ピアノの練習もそうでしたが、とにかく反復練習を重ねて手が勝手に動くまでにします。熟練するというのは、そういうことなのだと思います。そして、作業が熟練すれば、さらに高度な作業に移行できるのです。どういうことかというと、作業というのは階層のようになっていて、一番下に基本的な動作があり、上に行くにしたがって高度な動作が要求されます。

 

そして、ここがみそなのですが、上の階層の作業をするには、必ず下の階層を熟練させる必要があります。下の階層が熟練しないうち、すなわち頭で考えながら作業しているうちは、下の作業に頭を使うので、上の作業に取り掛かることすらできないのです。あとは、その繰り返しで、下の作業を熟練させて、上の作業に頭を使えるようにする。すると、上の作業の反復練習が可能となって、上の作業が熟練するという具合です。

 

この反復練習をして熟練するという過程が、私には必要なことで、それが許されるような仕事を選びたいと思っています。果たしてそんな仕事はあるのか。まだまだ、先は分からないのです。

私を救った旅行系YouTuberたち

こんにちは、やなべです。

 

私、人生に絶望していたときに家に引きこもっていたのですが、何をしていたかというと、だいたいYouTubeを見ていました。現実逃避したいときは、YouTubeに限りますよね。(かどうかは分からないけど)

 

今でも良くYouTubeは見るのですが、面白いコンテンツに触れるとそれを作っているYouTuberの人生観に思いを馳せたりします。何かに没頭してコンテンツを作成するのって、憧れます。

 

さて、私の闇と同居してくれたこのYouTubeチャンネルの数々を今回紹介したいと思います。それでは、はりきってどうぞ。

 

とったび(撮って笑って旅をして)

 

いわゆるカップルチャンネルですが、ひたすらに素直で明るく見ていて元気をもらえる動画を投稿しています。そして、タイトルにもあるとおり彼氏のこんちゃんは旅人であり、それに彼女のあーちゃんがついていくという構図です。

 

感染症の影響で旅を中断していたのですが、2022年の5月から再開して、現在は西日本一周の旅の途中です。

 

アウトドアなこんちゃんに連れ出させる、インドアのあーちゃんの掛け合いが面白く、また旅を続けるにつれて、あーちゃんも積極的になり二人で旅程を決めて旅をしているという感じです。

 

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らんたいむ

 

この人のチャンネルを見て、私は初めて車中泊という言葉を知りました。以前は字幕とBGMのみの構成だったのが、ある日突然しゃべり始めてびっくりしたのを覚えています。

 

このチャンネルでは、旅の風景とらんたいむさんの車中料理の両方を楽しむことができます。限られた装備の中で、旅の土地ならではの食材で料理するのを見るのが、この動画の醍醐味だと思います。

 

ちなみに、コメントによるとしゃべらない動画の方がいいという意見が多いようですが、私はどちらも良さがあると思っています。

 

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スーツ交通、スーツ旅行

言わずと知れた鉄道系YouTuberです。有名になったのは、全国の鉄道を一筆書きの要領で最も長い距離を旅するという「最長往復切符の旅」からだと思います。当時は極貧の旅で、動画の収益によっては旅を中断するかもしれないという中続けていたのですが、最近では潤沢な資金のもと日本中を旅しています。

 

膨大な知識の引き出しがあり、また昭和のアナウンサーのような語り口が特徴的で、つい聞き入ってしまいます。長時間の動画が多いのですが、1~2時間はあっという間に過ぎてしまうのはさすがとしか言いようがありません。

 

個人的には、ウラジオストクからロンドンまで鉄道で旅をするという海外編と、青春18きっぷを使用して日本最北端から最南端までを旅する動画がお気に入りです。どちらもおすすめなので、リンクを貼っておきます。

 

youtu.be

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以上3つのチャンネルを紹介しました。記事を書いていて思ったのは、いずれも旅に関するチャンネルだということでした。一つの場所にとどまらず、いろんな景色を見たりその土地の歴史に触れたりすることで、心をリラックスさせる効果があるのかもしれません。

 

 

私という人間の紹介

はじめまして、やなべです。この名前は、前職の同期にそう呼ばれていたので、使わせてもらうことにしました。(自分では結構気に入っている)

 

夏も終わりに近づき、現在深夜0時すぎ。このブログを、そっと誕生させようと思います。深夜のテンションで作ったと思われる方もいるかもしれませんが、そうではありません。

 

私は、もともと公務員をしていて、統合失調症という病気を機に退職をしました。そこから数年、何のやる気もなく、ただずっと、控えめにいって将来に絶望しながら過ごしていました。

 

人生安泰といわれる公務員となり、紆余曲折を経ながらも何気に充実した生活を送ってきました。収入にも不満はなく、生活も好きなときに好きなものを食べて(そんなに贅沢しなければ)、大好きなお酒も飲み歩いたりしていました。今思えば、仕事のストレスを発散していただけなのかもしれませんが、それ含み、結構がんばっている自分が好きでした。

 

転機が訪れたのは、今から約3年前のことです。職場にいると、どうも周りから声が聞こえてくるのです。不思議な感覚ですが、正確にいうと、周りの人が立てる音から音声が聞こえてくるのです。うーん、説明になっているかな。この説明だけで、どれだけの人がわかってくれるのかは謎ですが、とにかくそういう状態でした。

 

初めは聞こえるなーくらいにしか思わなかったのですが、そのうち周りの音声は、私を攻め始めました。「やなべは終わった」「さっさと退職してしまえ」などの幻聴が襲ってくるようになったのですが、私としてはそれが異常な状態とは認識できないでいました。

 

そうなんです。そこが統合失調症の恐ろしいところなんです。幻聴がなぜか、普通のことのように思えてしまうんです。当時、私は他の理由(ぶっちゃけてしまうと、抑うつ状態といううつ病一歩手前の状態)で、精神科にかかっていました。主治医に相談しようと思えばできたのですが、なぜか私は、当時の自分は正常で、周りの音声を出してくる人たちを受け入れてしまっていたので、(なんという泣けるほどの順応力)自分の異常さを主治医に伝えることができませんでした。

 

そんなこんなで、私は退職をすることになりました。なんということでしょう。上司に退職の意向を伝えて、「周りの人が私を攻めてきます。辞めます。」みたいな異常な理由を突き付けたところ、上司は「休職したらどう?」と言ってくれたのですが。私の頭は、自分を責める音声との決別(音声は会社の重大な秘密だと当時思っていたので、退職すればそこから逃れられると思った)しか考えなくなっていました。

 

さて、晴れて無職となったやなべですが、そこからがまた大変でした。音声は、なんと退職しても続いていたのです。(そりゃそうじゃ)私は実家に帰ったので、両親から近くの精神病院に転院させられました。そこでは最初診断名は伏せられていましたが、そのうち統合失調症という名前が出されることになるのです。

 

統合失調症という病気は、脳の機能異常により幻覚や妄想を生んだり(これを急性期という)、逆に何の感情もなくなったり(これを慢性期という)する病気です。幸い私は、拗らせきる前に統合失調症の診断がなされて、薬が処方された結果、急性期の症状は治まってきました。なんだ、幻聴だったんだ。そう気づいてしばらくしてから私はある重要な事実を目の当たりにするのです。

 

そうだ、公務員辞めてたわ。やなべ、公務員辞めたってよ。

 

絶望しました。なぜ自分がこんな目に合わないといけないのか。理不尽すぎると思いました。統合失調症の急性期で妄想にとりつかれているあいだは、音声との対話を楽しんでいたので(なんと楽しんでいたんです、たいした順応力)妄想の世界でほわほわしていたのですが、それが終わり慢性期になると、今度は感情の希薄化と脱力感に襲われて何もする気が起きないという状態になりました。

 

当然、次の仕事を探しました。まず見つけたのは、音楽配給会社(という名前で合ってるかわかりませんが)でした。当時の私は正社員というところにこだわりを持っていたので、転職サイトで正社員求人をあさり、もともと興味のあった音楽業界に転職しようと思い、応募しました。いやしかし、面接を受けてみるとどうも社長の最近始めた趣味である、骨とう品売買の手伝いをさせられるとのことで、そんなのやりたくないなあ、と思い辞退しました。

 

次に見つけたのが大学職員の非常勤でして、それはとある方からの紹介でした。当時はまだ一般雇用(自分が統合失調症であるということを伏せて応募する)にこだわっていたころでした。実際にやってみると、あら不思議。まったく気力も体力もなくなっていたのです。あとから聞くと、これが統合失調症の慢性症状だということなのですが、ちょっと社会復帰が早かったのかもしれません。そこも逃げるようにして、退職しました。

 

さすがに一般雇用では歯が立たない。そう思った私は、障がい者としての就職活動をすることを決意したのでした。まあ、決意というかっこいいワードを使いましたが、要はそうしないと就労継続できないってことです。あと、面接時に必ず聞かれる「安定の公務員を退職した理由は?」という質問に、まっすぐに答えられる自信がなかったからというのもあります。(障がい者雇用なら「統合失調症の症状により辞めました」と言えるのですよね)

 

ここがです。ここがですよ。私のまず越えなければいけないところでした。自分が障がい者?そんなことない。やなべはわりかしいい大学を出て、天下の地方公務員になった男だぞ!という気持ちがふつふつと沸き上がり、怒りというか悲しみというか現実を受け入れられないとか、そういうドロドロした心のありようを落ち着かせて次のステップに進まなければいけなかったのです。

 

でもね、そんな気持ちを落ち着かせる方法なんてないんですよ。ただ、気持ちが受け入れることを待つだけ。もっと正確にいうと、障がい者雇用としての自分の活動をしながら(心が「そんなことはしたくない!」と叫ぶのを横目に見ながら)現実を進めていき、心が落ち着くのをただひたすらに待つという、心と行動が乖離する状況を続けるということが必要になります。

 

これがつらかった。種明かしをしてしまうと、私がこの乖離と向きあい、つまりそれは心が現実を受け入れ始めたということなのだけど、そうなったのはつい最近のことなのです。ある日、その気持ちはすとんとやってきました。まあ、それはまだ先の話です。それまでは、心の叫びと別なことをしなければなりませんでした。

 

話を元に戻すと、障がい者としての雇用を目指すことを余儀なくされた私は、障がい者の就職活動をするための、就労移行支援という場所で活動することになりました。(まあ自分で申し込んだんですが)

 

就労移行支援での私は、明らかに問題児でした。なんたって、自分が障がい者ということを受け入れることができず、「なんで公務員辞めたんだろう」と言い続けるような人だったからです。まったく次のステップに進んでいません。でも、そこは仕方がないことだと、今では思っています。ここに書くかどうしようか迷っていたのですが、とにかく就労移行支援の日々は苦痛でした。言っちゃったよ。

 

就労移行支援って何をするかというと、まずは社会人としてのマナーを身に着けることから始まります。支援職員の人が講師となり、敬語の使い方から身だしなみの整え方まで教えてくれます。あー、かったるいと思っていました。そして、それが終わると今度は自分の気持ちとの向き合い方みたいな講座があり、それもかったるかったです。そもそも向き合い方を習っても、制御できる問題ではないと当時思っていたのですが、あながち間違いではなかったです。とにかく、それらのプログラムが嫌で嫌でしょうがなかったです。

 

それが終わると、訓練というものがあって、仕事を模したエクセルの入力作業だったりとか、そういう半ば実践的と言えなくもないことをすることになります。

 

私はやらなかったのですが、近くにいたべつの就活生が「ボールペンの解体」という恐ろしい訓練をさせられているのを目の当たりにしたときは、自分は一刻も早くここから出ないといけないと思ったものでした。ボールペンの解体というのは、まず大量のボールペンを渡されて、それを解体します。次にそれを元に戻します。これらの作業は時間を計られていて、ある一定時間に何本のボールペンを解体し、もとに戻したのかという記録をつけさせられます。

 

昔ある国の拷問で、右手に砂を持ちそれを左手に移し替え、また右手に戻すというものがあったそうです。それを繰り返しているうちに拷問を受けた者は、「もうこんなことをさせるのは止めてくれ!なんでも話すから」となるらしいです。私は、ボールペンの解体作業を見てその話を思い出したものでした。

 

しかし、そんな嫌なことづくめの就労移行支援でも、あとから思えば問題児の私になんとか就職に前向きな方向にもっていきたいと画策してくれたスタッフの方には、本当に感謝でしかありません。仕事とはいえ、ずっと「なんで私は公務員を辞めたんでしょう」とか言って就活に意欲を示さない人を相手にするのは大変だったことでしょう。そんなこんなをしているうちに、あっという間に1年間が過ぎ、とある転機が訪れることになるのです。

 

私の親戚に楽器店を経営する人がいて、そこで働かないかと言われたのです。これはうれしかったです。

 

まず、自分を雇ってくれると言ってくれたこと。前職を退職してからは、私はまったく自信を無くしていました。統合失調症陰性症状もあるのだと思いますが、何をやってもうまくいかないだろう、続かないだろうという気持ちがあったのです。しかし、そんな私に声をかけてくれたということは、少なからず何かができると思ってくれたということです。

 

そして、楽器店という音楽に関係する仕事であったこと。前にも書いた通り、私は趣味として音楽と触れ合ってきました。幼少からピアノを習い、中学では合唱団に入り、大学ではピアノサークルに所属していました。これなら、自分の興味を生かせるのではないかと期待に胸を膨らましました。

 

あれよあれよという間に、私の新しい就職先が決まりました。そして、私に与えられた仕事は、入荷した商品を検品して、各店舗あてに仕分けをしてその内容を伝票に書き込むというものでした。初めのうちは、細かい部品の違いがわからなかったり、そもそもこれは何に使う部品なのかがわからなかったりしながら、悪戦苦闘しました。その過程は、いろいろあるのですがここでは割愛して、またの機会に。

 

しかし、そんなこんなでもがいていると、ある日突然、「あ、だいたい分かるようになってきた」という感覚が生まれるのを感じました。これは、かなり明確にわかる瞬間だったのでよく覚えています。そして思い出しました。何かに熟達する瞬間、一歩進む瞬間が楽しいと思えるんだよなあということに。勉強でもピアノでも何でも、その瞬間が訪れたときに、次に進もうという気持ちが生まれるのです。

 

そしてそのとき、過去の自分に執着する気持ちがやわらいでいくのを感じました。正直驚きました。前に進むという感覚は、気持ちを現在に集中させる力を持っているのだと思いました。そんなこんなで、今があります。私はここからさらに一歩進めたいと考えています。そのために、このブログを開設しました。

 

とりとめなくなってしまいましたが、私の紹介はこんな感じにさせていただきます。