すぐに答えを出さずに耐えること

こんにちは、やなべです。

 

私は、文章で価値創造をすることを目指しています。しかし、具体的にどういう文章が価値を生むのか、それは商業的なものか芸術的なものか、どのような職に就けばそれを達成できるのかという道筋が見えていません。これまで、答えのある試験のための勉強をして、法令という答えのもと仕事をしてきた私が、まったく答えの見えない状況に立たされているのです。この不安定で、心の拠りどころのない状況とどのように向き合うか悩んでいたときに、出会った本を紹介します。

 

 

本書の著者は精神科医をしています。治療をしても状況が良くならずに入院が長引く人がいたり、せっかく寛解して退院したのにさらに重篤な状態で再入院をする人がいたりと、精神科医療の限界を感じて悩んでいたときに、とある論文を見つけます。そこには他の人の内なる体験に接近し、共感を持った探索をするためには、研究者が結論を棚上げする創造的な能力を持っていなければならないと書かれていました。不確かさの中で事態や情況を持ちこたえ、不思議さや疑いの中にいる能力が、対象の本質に深く迫る方法なのだと言います。

 

このような、性急に答えを求めずに不確実性や不思議さ、懐疑の中にいることができる能力を、ネガティブ・ケイパビリティといいます。目の前の事象に迅速に理解の帳尻を合わさずに宙ぶらりんの解決できない状況を、不思議だと思う気持ちを忘れずに持ちこたえていく力が、精神科医療には要請されるのです。患者さんは千差万別で、誰一人同じ人物はいません。精神科医五里霧中の対岸の見えない湖を、患者さんと一緒にオールを漕ぎながら進んでいきます。何事も決められない、宙ぶらりんの状態に耐えている過程で、患者さんは自ずと生きる道を見つけて、進んでいくのです。

 

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この本を読んで印象に残ったのは、問題を棚上げすることは創造的な行為であるということです。棚上げというと問題を見えなくして逃げてしまうという印象を持たれがちですが、むしろ、即席の知識で性急に解決済みにしてしまうことの方が問題からの逃げであるように思います。ここでいう棚上げというのは、分からない状態に耐えながら問題と長い時間をかけて向き合っていく決意なのです。では、これまでなぜ分からないという状態への耐性が養われなかったのでしょうか。

 

私たちは、問題が解決されている状態に慣れすぎているのだと思います。その原因は本書でも挙げられているのですが、現代の教育にあります。分かるということを重視し過ぎたことにより、解決可能な問題のみを扱うようになり、教育現場で扱われている問題が現実と乖離しているのです。筆者は、教育とはもっと未知なるものへの畏怖を伴うべきだと主張します。問題設定が可能で解答がすぐに出るような事柄は人生の中のごく一部であって、残りの大部分は訳がわからないまま、興味や尊敬の念を抱いて、生涯をかけてなにかを掴み取るものなのです。

秋の昼下がりに聴きたいクラシック

こんにちは、やなべです。

 

だいぶ涼しくなってきましたが、昼はまだまだ暖かくちょうどよい気候です。そんなときは、うとうとと昼寝をしたくなりますが、いい感じに頭がぼーっとしている中で、なんとなく聴くクラシックというのも良いものです。今回は、そんな風に力を入れないでゆったりと聴ける曲を集めてみました。比較的長時間の曲もありますが、あまり気をはらずに、全体像を楽しんでもらえると幸いです。

 

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ショパンの幻想曲です。似たような名前の曲で、幻想即興曲というものがありますが、それとは別物です。最初は暗い曲調で始まりますが、それを過ぎるといきなり加速を始めて、とてもきれいな旋律に移行します。最初に聴いたときは、ゆっくりしていて特徴のない曲だなと思っていましたが、最後まで聴いてみると、ショパンらしい和音が出てきたり、いきなりポロネーズのような勇ましいリズムが出てきたりして、飽きさせない曲だということが分かります。

 

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同じくショパン舟歌です。大海原で舟を漕ぐように、ゆったりとして伴奏は同じ形が続きます。明るくてのんびりとした感じで曲は始まりますが、途中に出てくる旋律にどこか哀しい響きがあるのも特徴です。のほほんとしているように聴こえますが、実は演奏の難易度はとても高く、私は譜読みの段階で挫折しました。アマチュアの演奏会に舟歌を選んでくるというと、相当腕に自信があるのだなと思われる曲です。

 

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結局全部ショパンになってしまいましたが、スケルツォ2番です。スケルツォにはもともと冗談とか、ふざけたという意味合いがありますが、たしかに導入の部分は怪しげな響きがあります。しかし、中間部はショパンらしい抒情的で情熱的な旋律があり、その後にきれいな分散和音が続きます。曲調がころころと変わるのもこの曲の特徴で、聴いていて振り回されるという感じもありますが、逆に言えば飽きさせない、とっつきやすい曲とも言えます。

好きなことを仕事にすること

こんにちは、やなべです。

 

好きなことを仕事にするって、大変ですよね。本当に仕事になるかという不安もありますし、このまま好きなことを続けられずに、生活できなくなってしまうのではないかというネガティブなことを考えると、自分の足元が崩れていくような、言いようのない感覚に陥ります。太宰治の斜陽を読んでいても、元々の貴族が没落する姿を見て、自分と重ね合わせて嫌な気持ちになるものです。主人公の弟が、僕は貴族ですと言い残して死んでいくところとか、見てられなかったです。

 

もちろん、私は貴族でもなんでもありませんが、公務員という安定して給料をいただける立場にあったのに、統合失調症という病気で辞めざるを得なくなり、自活するのが難しくなってしまったという過去があります。社会復帰のリハビリとして始めた今のバイトの仕事も、ありがたいことに障害を開示して働かせてもらっているのですが、生活をするだけのお金をもらえるまで、コミットしていくことは難しいのかなと思うところが大きいです。

 

これからどんな風に自活していくかを考えたときに、消去法的に人生を歩むことはしたくないという想いが強くあります。だからこそ仕事も、自分の好きなことをお金をもらえるレベルまで高めていきたいと考えています。私は、好きなことを仕事にすることを夢とは言いません。夢というと、実現したらいいなあくらいに思うこと、というイメージが出てきてしまうからです。そうではなく、実現可能な到達点としての仕事と捉えて、日々このブログで文章の練習をしているところです。

 

なんとかこの書くということを仕事にしたいと私が思うのには、自分が統合失調症というハンデを背負いながらも、というかそういう障害があるからこそ、自分の好きなことで人生をデザインしていきたいと感じたという理由があります。公務員の頃は、そんなことを考えずに、毎日与えられたことをこなしていくことが、生活なんだと思っていました。安定した生活を営んでいることに満足していました。

 

そうした生活が障害によって奪われたとき、これはもう自分の好きなことをして生きていくという考えにシフトしていく時期なんだと強く感じました。絶望からの脱却を試みたのです。不安定だけれど、将来が見えないけれど、それでも前へ進んでいこうと思えたのは、自分でも驚くべきことでした。見通しが立たないからこそ、自分の目標とする未来を描きながら、それに向かって日々を過ごしていきたいという気持ちで心を燃やしながら、今日も文章を書き続けます。

ヴィヨンの妻を読んで

こんにちは、やなべです。

 

毎日更新をしていると、常にどんな記事にしようかと考えて本を読んだりしているのですが、数日前から読んでいる川端康成舞姫が、読んでいても何を言っているのかよく分からないという状態でした。あらすじを書くには難しすぎるということで、いったん読むのを止めて、もう少し読みやすいものを題材に記事を書くことにしました。短編で良さそうなものがないか探していたところ、太宰治の作品を見つけたので、それを今回の記事の題材にしようと思います。

 

 

この小説の主人公は、詩人である大谷の妻です。のちに、さっちゃんと呼ばれる女性なので、あらすじでは初めからそう呼ぶことにします。大谷は、日本一の詩人と言われている、四国のとある男爵の次男ですが、親には勘当されて、さっちゃんと赤ん坊の息子のいる家は数日帰ってこないばかりか、外で何人もの女性をつくっているという体たらくです。大谷はある日、行きつけの中野の居酒屋から金を盗んで帰宅します。外からは居酒屋を経営する夫婦の声がして、それを聞いたさっちゃんが外へ出ると、夫婦は窃盗を警察に通報すると言います。

 

居酒屋の主人に話によると、大谷はある日、秋ちゃんという年増の女性に連れられてやってきました。秋ちゃんは、知り合いの筋の良い客を連れてくるので、大谷もその部類かと思い、焼酎を飲ませます。大谷はおとなしくのんで、その日は秋ちゃんの支払いで帰っていきました。大谷は度々お店に来るようになり、ある日、百円紙幣を店の主人に掴ませて、お酒を飲ませてくれと頼むのでした。焼酎を十杯ほど飲み、お釣りは次のときまでに預かっておいてくれと言い、店を出ていきました。それからというもの、大谷は一銭も払わず、お店にあるお酒をほとんど飲み干してしまったのでした。

 

それを聞いたさっちゃんは、思わず吹き出してしまいます。そして今晩、大谷はお店にあったお金をいきなり掴んでポケットに入れると、外に出ていってしまい、居酒屋の夫婦はとうとう家までついてきたのでした。さっちゃんは、またもや笑ってしまうのですが、笑いごとではないので、そのお金は自分がなんとかするので、警察に言うのは一日待ってもらえないかとお願いします。翌日、さっちゃんは、なんの思慮もなく私は中野の居酒屋を訪れて、思いがけなかった嘘をすらすらと言います。明日までにはお金を返す用意ができているので、それまでは自分が居酒屋で働くというものでした。

 

そして、奇跡が起こります。夫が女性を連れて店にやってきたのです。そして、店の主人と連れの二人は話をするために、店を出ていきます。店の主人が帰ってくると、お金は返してもらったといいます。ただ、今までの酒代のつけがまだ残っていると言うので、居酒屋で働いてそれを返すことにしました。それからの日々は、さっちゃんにとって楽しいものになりました。家には何日も帰らない大谷でしたが、居酒屋には二日に一度くらいは来るようになり、勘定は妻に払わせて、家に一緒に帰ることもありました。

 

居酒屋で働いているうちに、私は居酒屋の客が皆犯罪者であることに気が付きました。そう考えると、道を歩いている人たちが何か必ず後ろ暗い罪を隠しているように思えました。しかし、正月の末にさっちゃんは、お客の一人からけがされることになるのでした。家についてきた客を泊まらせたところ、その男に手を入れられたのです。その後も、上辺はいつもと同様に居酒屋で働きました。ある日大谷は新聞を読みながら、あの盗んだ金はさっちゃんと息子の正月のために使うつもりで、自分は人非人でないから、あんなこともしでかしたのだと言います。それに対してさっちゃんは、人非人でもいいじゃないの、生きていればと答えるのでした。

 

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好き勝手に振る舞う、傍若無人の大谷が盗みを働いたという話を聞いても笑ってしまうさっちゃんの純粋さに心持ちが救われる前半部分に対して、後半では居酒屋で働くうちに、皆後暗い罪を背負っているということに気づき、さらには自分が犯されるという事件を秘密にしながら何事もないように働く自分も、他人に言えないようなことを背負っていくという変化が、印象に残る作品でした。もともと、純粋で落ち着いた強さを持った女性が、世間に飲まれていくうちに、最終的には人非人でも生きていればいいと答えるようになることに、ちょっとした怖さも感じました。

女であることを読んで

こんにちは、やなべです。

 

今回も、川端康成を選びました。とりあえず、自分の好みの作家を見つけたら、その人の小説をひたすらに読んでいくというのが、私の読書方法のようです。川端康成の小説のあらすじを書いていて思うのは、場面展開が多くてそれらが並行して話が進んでいくので、どの部分を切り取れば話の筋が分かるのか、判別しにくいということです。あらすじを書くために、小説をはじめから読んで、話の筋になりそうなところを抜粋するのですが、川端康成の作品の場合は、それが膨大な量になります。

 

 

三浦さかえは、母の音子と暮らしています。さかえの父は、三浦商会という雑貨屋を営んでいたのですが、現在はそれを廃業して、不倫相手との間に子どもをもうけて、家にはたまにしか帰ってきませんでした。さかえには姉のいと子がいますが、あまり性格が合いませんでした。ある日、さかえは家出をします。母から銀行の用事を頼まれたきり家に帰らず大阪駅に向かい、そこから東京ゆきの急行に飛び乗ったのです。東京には訪ねるあてがあり、それは音子の友人の佐山夫人である市子でした。

 

市子のもとに速達の手紙が届きます。音子からで、さかえがそちらに向かったので、よろしくと書かれていました。しかし、肝心のさかえは現れません。佐山家には、すでにもうひとり居候の娘がいました。名前は妙子といい、妙子の父は殺人を犯して東京拘置所に収監されているのですが、そのときの裁判で弁護をしたのが佐山弁護士で、縁があり妙子を引き取ることにしたのでした。佐山夫妻の間には子どもがおらず、十年前に市子が流産してから音沙汰がありません。

 

佐山家には赤いカナリアがいて、妙子は小鳥に親しんでいました。家から出たがらない妙子のために、市子は小鳥の餌を百貨店に買いに行くことを、妙子の役割にしていたのです。百貨店の小鳥売場では、妙子の友人の千代子が働いています。ある日、千代子は妙子に有田という大学生を紹介します。千代子が売場に戻ってしまい、二人になった妙子と有田は、百貨店で開催されていた写真展に向かいます。その会場で、妙子はある写真に衝撃を受けて、倒れてしまい有田に介抱されます。

 

佐山夫妻は、佐山の友人であり大阪から来た商業美術家の松村と会うことになっていました。会食が済むと、松村は宿泊先のホテルに息子の光一が来ていると言って、誘いました。そこで、市子はさかえを見つけました。東京駅に着いたさかえは、偶然松村と同じホテルに泊まっていたのでした。市子はさかえを家に連れて帰りました。市子はさかえを可愛がりました。そして、さかえも市子を慕います。さかえには、自信家のようでありながら、自分に失望してるところもあり、それが魅力的でした。

 

光一は、市子から映画に招待されました。帝国劇場に向かうと、そこには佐山夫妻がさかえを連れていました。光一はさかえの幼馴染でした。このときさかえは佐山に、自分は佐山の事務所で働かせてもらうと言いだします。佐山がさかえに事務所を見に行くかいと誘ったとき、市子は頬がこわばりました。さかえが一日中、事務所で佐山のそばにいると考えると、市子は邪気を感じて落ち着かないのでした。佐山と別れて、映画の帰りにフランス料理屋で食事をしていたとき、市子は清野という昔の恋人と再会します。清野は近況を話そうとするのですが、市子は冷たくあしらうのでした。

 

さかえの母親の音子が、佐山家を訪れます。翌日、都内の観光バスツアーに行こうということになり、妙子は留守番になりました。その日、妙子は有田と会う約束をしていたのです。有田は妙子の部屋に行きたいと言います。妙子はだまって家に帰り、有田はそれについてきました。妙子は有田に手首を握られ、引き寄せられていました。帰宅した市子が妙子の部屋に行くと、そこには妙子はいなく、置手紙がありました。妙子は家を出て行ってしまったのです。

 

ある日、さかえは夜遅くまで外で酒を飲んで帰ってきました。市子が介抱すると、さかえは市子に見捨てられてしんどいと言います。妙子が家を出ていったことにさかえが関係していると思った市子は、この頃はさかえにつらくあたっていたのでした。それにさかえは、音子が東京に出ててきて、一緒に住むことになったら、佐山の事務所も辞めなければいけないだろうと言います。市子は、さかえが続けたければ続ければいいと言ったものの、罠にはまったような気がしました。そのとき、さかえは市子に接吻をしたのでした。男はみな嫌いとさかえは言うのです。

 

音子が佐山家を訪れます。阿佐ヶ谷に新居を買ったので、さかえを連れていくと言うのです。さかえは三日ほど留守にすると言い残します。音子の引っ越しの手伝いで、さかえはしばらく佐山の事務所には行けずにいました。そして久しぶりに事務所に行き、佐山に挨拶をすると、佐山は生返事をして、また書類に目を落としてしまいました。夕方に、佐山は市子が心配しているから家に帰ろうと言います。帰り道、さかえは自分が二人の中で好ましくない存在にさせられているなら、もう事務所へはいかないと佐山を責めます。佐山は、さかえに平手打ちをしました。さかえは、佐山にぶたれたのが嬉しいと言います。

 

有田はしばらく田舎に帰っていたのですが、田舎ではあまり良いことはありませんでした。田舎の家族は、有田が大学卒業後に養ってもらおうとしていて、妙子のことも好ましく思っていませんでした。有田が帰京した翌日、二人は新しい貸間に移ります。貸間の家主は未亡人で洋裁店をしていました。妙子は有田の迷惑にならないように、その洋裁店で働きたいと志願したのでした。子どもの話になったとき、有田は妙子の遺伝は悪いと言います。妙子は父親のことを言っているのだと思い、ショックを受けます。

 

市子は、佐山とさかえと三人で映画をみる約束をさせられます。有楽町の映画館から出たときに、市子は偶然清野を見つけて話しているうちに、佐山とさかえとはぐれてしまいます。二人が見つからないので、市子は一人で帰宅すると、そこで妙子が待っていました。有田は、また田舎に帰って家にはいませんでした。妙子は、有田とはなればなれになっても、仕事をしながら待ち続ける決心をしたと言います。

 

そこに、電話のベルが鳴ります。築地病院からでした。さかえが電話口にいて、佐山が自動車と接触事故を起こしたと言います。市子はすぐに築地病院に向かいます。医者は佐山の容態は心配ないと言います。病室を出ると市子は吐気と目眩がしました。医者は仮に妊娠だとしてもまだわからないと、あっさり言います。前回の流産から十年経って、市子は妊娠したのでした。数日後、佐山は退院を許されて帰宅しました。妊娠のせいか、市子は人嫌いになっていて、家にもあまり人を呼びたがらなくなりました。

 

佐山が退院してから、さかえは市子の前に姿を現さなくなりました。久しぶりに音子が訪ねてきました。さかえの様子を聞くと、失恋でもしたみたいに荒れていて、酒や煙草の日々なのだそうです。さかえは、清野と夜遅くまで遊び歩いているようなのです。一方の妙子は、有田が田舎から帰ってからすぐに学生寮に引っ越してしまい、一人になってしまいました。有田は自分が来たいときだけ、妙子のもとに来るようになりました。妙子は有田にもう来ないでと言います。

 

妙子が佐山家を訪れて、自分が医療少年院で働けそうだということを伝えに来ます。以前から、妙子が興味を持っていた仕事なのでした。そこに、さかえがやってきます。市子にお別れを言いに来たのだと言います。そして、さかえは市子が清野と別れて正解だと言い残すのでした。一週間ほどして、さかえから電話がかかってきます。京都の父のもとに向かうというのです。市子は、父に会ったらまた佐山家に帰ってきなさいと言うのでした。

 

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あらすじを書いてみましたが、あらためて話の筋を抜き出すのと、登場人物の細かい心の動きを文章の端々から感じるのとでは、隔たりがあるのだと思いました。さかえの気持ちは、最終的には佐川にあるのですが、それを危機と感じる市子の心情や、だからこそ妊娠したときの嬉しさというか、さかえに対する優越感のようなものがリアルに迫ってきました。また、これに対して絶望を感じて、市子の元恋人である清野に近づくさかえというのにも、なんだか頷けてしまうところがあります。こうしたしっとにかられた闘いのような関係が、女性特有なのかは分かりませんが、人間の持つ欲望のようなものを観察し、リアルに描き切る作者には脱帽します。

持続可能な心の資源配分

こんにちは、やなべです。

 

心の資源配分について、考えることがあります。

 

資源というのは、健康な精神活動をするための燃料のことです。私たちは、この燃料を燃やしながら、仕事を含めた日常生活を営んでいます。資源が少なくなると、精神活動が低下することにより、やる気が起きなくなったり、集中力が低下したりします。さらに資源が枯渇すると、抑うつ状態、その他精神疾患の症状が現れるようになると、私の経験から思います。持続可能性という言葉が最近よく聞かれますが、自分の資源を持続可能にするためには、次のような認識が必要です。

 

  • 資源は有限であること
  • 資源配分は自己責任であること

 

資源は有限であること

世界にある、石油や石炭などの資源は有限であると分かっているのに、自分の中にある資源は無限であると思ってはいないでしょうか。過去の私はそう思っていて、精神疾患になりました。直面する課題に対して、全力投球で頑張ることが美徳だと思っていました。資源が無限であると思い込んでいることの問題点は、資源が減っていることに気づかないということです。自分は頑張れると思い込んでいても、実際に資源は消費されていき、枯渇して精神症状が現れるまで気づかないのです。

 

資源配分は自己責任であること

どこに力を入れるかは、自分が決めるということです。他人の期待に添いたいと思うあまり、資源配分の基準が他人の評価に支配されてしまうと、結局は資源の枯渇を招いてしまいます。しかも、その結果責任は自分で負うことになります。私も、他人の評価に左右されやすい人間です。仕事で周りがどう思っているのだろうとか、自分は期待未満なのではないかとか、そう思うとつい頑張ろうとしてしまいます。さらに、それを悶々と考えることに資源を使ってしまうのです。

 

結果責任を負うのは自分だからこそ、資源配分は他人の評価ではなく、自分の軸により決める権利があるのです。自分が力を入れたいと思うところに、自己責任で資源配分をすることで、より真剣に仕事に向き合うことができます。逆に、力を抜くことは決してサボることではありません。自分の資源はこれだけ投入するという、合格基準を決めるということなのです。大切なのは、自分が力を入れたいと思えるものを見つけることなのだと思います。

伊豆の踊子を読んで

こんにちは、やなべです。

 

相変わらず、川端康成の作品を読み漁っています。川端作品には短編も幾つかあり、その中でも一番有名なのが伊豆の踊子です。踊子が、主人公の学生である私にとても懐いており、私もその純朴さに触れて心がほぐれていくという物語なのですが、傍から読んでいてもその光景は微笑ましいものがあり、何度も映画化されて当時のアイドル的存在の女優が踊子役をしていたのも頷けます。短編なのであっという間に読み終わってしまうのですが、だからこそ儚い物語が一層際立ってているようにも思いました。

 

 

主人公の私は、伊豆にひとり旅をしていました。恰好は、高等学校の制帽をかぶり、紺の地に白いかすりの模様がついている着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけているというものでした。私はこの旅行の途中で、とある旅芸人の一行を何度か見ており、今の天城峠の茶屋で彼らを見かけたときは、期待通りと胸が躍りました。一行の中にいた踊子が、私が立っているのを見つけると、自分の座布団をはずして裏返して私のそばに置きました。踊子は十七歳くらいに見えました。

 

私が茶屋の奥の部屋に通されて、店のお婆さんと話をしているうちに、一行は出発したようで、私も後から追いかけたのでした。すぐに私は一行に追いつきます。しかし急に歩調を緩めるわけにはいかないので、そのまま追い越したところ、先に一行のうちの男性がいて、お足が速いですねと声を掛けられます。男性と私が歩きながら話し始めたので、後ろから女性たちが追いかけてきました。一行は大島の出身であることが分かりました。私は下田まで一行といっしょに旅をしたいと男性に申し出ると、男性は喜びます。

 

湯ケ野に泊まることになったとき、私は宿屋の二階で荷物を下ろしました。そこに踊子がお茶を持ってきたのですが、ひどいはにかみようで、手が震えてお茶をこぼしてしまいました。私は一行と同じ宿に泊まると思っていたのですが、男性は私を別の温泉宿に案内しました。その夜、太鼓の音が雨音に紛れて聞こえてきました。一行が宿の向かいの料理屋のお座敷に呼ばれていることが分かりました。

 

翌日の朝、私は男性と風呂に入ると、湯殿から踊子が手ぬぐいもない裸の姿で両手をいっぱいに伸ばして何かを叫んでいます。私は踊子は子どもだったのだと思い、微笑が止まりませんでした。頭が拭われたように澄んだ心地がしました。踊子が十七歳くらいかと思ったのは、私の思い違いだったのです。その日は踊子と五目並べをしたり、踊子が三味線を習っているところを見たりして過ごします。好奇心もなく軽蔑も含まない、彼らが旅芸人という種類の人間であることを忘れてしまったような、私の好意は彼らの胸にも沁み込んでいるようでした。

 

その翌日の朝、出発のときでした。湯ケ野を出るとまた山道に入ります。ふと後ろを歩いている踊子と千代子の会話が耳に入りました。どうやら私の噂話をしているようで、踊子は私のことをいい人ねと言っています。私自身にも自分がいい人だと素直に感じることができました。私は自分の性質が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ねて、その息苦しい憂鬱に耐えきれなくて伊豆に旅をしに来たので、自分がいい人に見えるということはとてもありがたいことなのでした。

 

甲州屋という下田の宿は北口を入るとすぐでした。映画に連れて行って欲しいと踊子は言います。私は次の日の朝に船で東京に帰らないといけないのでした。踊子は映画に連れて行ってもらえるように私にせがんだのですが、母親が承知しませんでした。私はひとりで映画に行きました。映画を見て宿に戻ると、踊子の太鼓の音が聞こえてきました。わけもなく涙がこぼれました。

 

次の朝、栄吉が私を見送りに来ました。乗船場に着くと、海際にうずくまっている踊子の姿が見えました。そばに行くまで彼女はじっとしていて、私に頭を下げました。そこへ土方風の男が私に近づいてきて、同じ船に乗るお婆さんを東京まで送り届けてくれないかと頼みます。私は快く引き受けます。踊子はやはり唇をきっと閉じたまま、一方を見つめていました。私は乗船するときに、踊子にさよならを言おうかと思いましたがやめて、頷いてみせました。

 

船内で私はカバンを枕にして横たわっていました。涙がぼろぼろ出てきました。泣いているのが人に見られても構いませんでした。私は何も考えず、清々しい満足の中に眠っているようでした。頭は澄んだ水になってしまっていて、それが涙となってぼろぼろとこぼれ、そのあとには何も残らないような甘い快さなのでした。