すぐに答えを出さずに耐えること

こんにちは、やなべです。

 

私は、文章で価値創造をすることを目指しています。しかし、具体的にどういう文章が価値を生むのか、それは商業的なものか芸術的なものか、どのような職に就けばそれを達成できるのかという道筋が見えていません。これまで、答えのある試験のための勉強をして、法令という答えのもと仕事をしてきた私が、まったく答えの見えない状況に立たされているのです。この不安定で、心の拠りどころのない状況とどのように向き合うか悩んでいたときに、出会った本を紹介します。

 

 

本書の著者は精神科医をしています。治療をしても状況が良くならずに入院が長引く人がいたり、せっかく寛解して退院したのにさらに重篤な状態で再入院をする人がいたりと、精神科医療の限界を感じて悩んでいたときに、とある論文を見つけます。そこには他の人の内なる体験に接近し、共感を持った探索をするためには、研究者が結論を棚上げする創造的な能力を持っていなければならないと書かれていました。不確かさの中で事態や情況を持ちこたえ、不思議さや疑いの中にいる能力が、対象の本質に深く迫る方法なのだと言います。

 

このような、性急に答えを求めずに不確実性や不思議さ、懐疑の中にいることができる能力を、ネガティブ・ケイパビリティといいます。目の前の事象に迅速に理解の帳尻を合わさずに宙ぶらりんの解決できない状況を、不思議だと思う気持ちを忘れずに持ちこたえていく力が、精神科医療には要請されるのです。患者さんは千差万別で、誰一人同じ人物はいません。精神科医五里霧中の対岸の見えない湖を、患者さんと一緒にオールを漕ぎながら進んでいきます。何事も決められない、宙ぶらりんの状態に耐えている過程で、患者さんは自ずと生きる道を見つけて、進んでいくのです。

 

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この本を読んで印象に残ったのは、問題を棚上げすることは創造的な行為であるということです。棚上げというと問題を見えなくして逃げてしまうという印象を持たれがちですが、むしろ、即席の知識で性急に解決済みにしてしまうことの方が問題からの逃げであるように思います。ここでいう棚上げというのは、分からない状態に耐えながら問題と長い時間をかけて向き合っていく決意なのです。では、これまでなぜ分からないという状態への耐性が養われなかったのでしょうか。

 

私たちは、問題が解決されている状態に慣れすぎているのだと思います。その原因は本書でも挙げられているのですが、現代の教育にあります。分かるということを重視し過ぎたことにより、解決可能な問題のみを扱うようになり、教育現場で扱われている問題が現実と乖離しているのです。筆者は、教育とはもっと未知なるものへの畏怖を伴うべきだと主張します。問題設定が可能で解答がすぐに出るような事柄は人生の中のごく一部であって、残りの大部分は訳がわからないまま、興味や尊敬の念を抱いて、生涯をかけてなにかを掴み取るものなのです。