作業化とこれからのこと

こんにちは、やなべです。

 

最近、ブログを書くことがだいぶ習慣化してきました。毎日更新するために、記事になりそうなことを考えたり、文章の練習のための読書をしたりする時間が大半を占めるようになり、ブログを始めた当初に比べると、書くことに対する気持ちが変化してきているように思います。それと同時に、自分のこれからの人生において、どのように書くことに関わっていくか、考えるようになりました。まだ先は見えないのですが、だからこそ現時点の状況と考えることを、里程標として残しておこうと思います。

 

ブログを書くことの作業化

この頃は、書くことが作業になっている感覚があります。これには良い側面と悪い側面があり、悪い側面としては、文章を書くこと自体に対する新鮮な気持ちが失われていることがあると思います。以前は、記事を書くたびに将来に向かって進んでいるという感覚を味わうことができましたが、現在は日々の繰り返しとしての作業と言う要素が強くなりました。新しいことを始めたときの高揚感というのは、そんなに長くは続かないのだというのが感想です。一方で、良い面もあります。将来のことを想像してモチベーションを上げなくても、より少ない労力で文章が書けるようになったことです。これは将来の仕事につながる重要な成長だと思います。

 

しかし、ブログを始めた頃と変わらない気持ちもあります。文章を書くことで無から有を作り出しているという意識と、どんな文章になるのだろうという期待感です。自分がどんな価値創造をしているのかということは、人生における軸であり判断基準でもあります。また、思いついたことを文章にして、前後関係を整理することで、考えていることが明確になったときの発見感のようなものは、文章を書くことがどんなに作業化しても、楽しみとして残り続けています。文章が書くことが好きだからこそ、これらの変わらない気持ちがあるのだと思います。

 

文章を書くことのこれから

文章を書くことに慣れてきたところで、次の段階に進むことも考え始めていますが、行動には移せていないというのが現状です。文章をお金にするために、案件を受注してみたり、書くことに携わる仕事を見つけてみたりと方向性があります。今のままでいいのかという焦りもありますが、まだ時期ではないとも思います。仕事に応募するための実績としてブログを活用するためには、まだ期間が足りないとも感じます。状況を変えるには勇気ある決断が必要ですが、そのための材料を揃えているうちに訪れる機会を逃さないことも大切です。

 

今までの経緯として、統合失調症により会社員を辞めて、就労移行支援に通い社会復帰を目指していたところ、ご縁によりお声がかかり、現在の楽器店のバイトをさせてもええることになりました。なので、今のバイトは社会復帰のためのリハビリのようなことも兼ねています。今後、文章で発信したいという気持ちと、文章でお金を得られるようになりたいと言う気持ちが現在のバイトよりも強くなり、時間と労力を書くことに使いたいと思うようになったら、次の段階に進もうかと思います。

山の音を読んで

こんにちは、やなべです。

 

今回も、川端康成の作品なのですが、戦後の日本文学の最高潮と評された、山の音を読んでみました。この小説は、あらすじを書くのがとても難しいと感じました。主人公の信吾の家族に起こる事件の部分だけをかいつまんで並べてみたものの、その他の日常の些細な出来事にも焦点を当てないと、作品の世界観が伝わらないのです。本文からあらすじに用いる予定の部分を書きだしている時点で心が折れそうになったのですが、現在の自分の力量で、まずは完成させることを目標に記事を書きました。

 

 

信吾は、東京で会社員をしています。最近、物忘れがひどくなったので、同じ会社で勤めており同居もしている息子の修一、その妻の菊子、そして会社の部屋付きの秘書である英子が、信吾の記憶係のようなことをしていました。信吾には妻の保子がいます。信吾は、去年に還暦を迎えたときに喀血をしましたが、支障もなかったので、医者には行かず過ごしていました。八月のある夜、山の音を聞きます。風の音に似た、地鳴りのような音を聞いて、慎吾は死期が近づいたのかと恐怖します。

 

そこへ、信吾の娘の房子が、二人の子どもを連れて実家に戻ってきました。上の子の里子は四歳、下の子の国子は産まれたばかりでした。房子と夫の相原との間の不和が影響したのか、里子には精神不安定なところがありました。房子は、相原の愚痴をこぼしながらも、肝心の夫婦の行く末については、信吾に話せずにいました。一方の修一は、菊子と結婚して二年も経たないうちに、愛人を作っていました。修一の不倫は、信吾の会社の秘書である英子が、内実を知っているようでした。

 

信吾は、英子から不倫相手のことを聞き出そうとします。英子いわく、その女性は絹子といい、連れの女性と二人で暮らしています。絹子はしゃがれた声をしていて、修一はそこが官能的だと言うのだそうです。家は本郷の辺りにあることを聞いて、信吾はそこに案内するように頼みます。英子としては、まずその同居人を会社に読んで話を聞いてみてはどうかと提案したところ、信吾はあいまいな返事をして、結局本郷まで来てしまいますが、家の場所を確認するのみで引き返します。

 

不倫騒動に巻き込まれて重荷になった英子は、会社を辞めて、絹子のいる仕立屋で働き始めました。ある日、英子は絹子と同居している女性を会社に連れてきました。信吾は以前にそんな約束をしたことを思い出しました。その女性は池田といい、前々から信吾と絹子は別れたほうが良いと考えていました。池田の話によると、修一は絹子に対して手荒なことをして、泣かせたりしていたのでした。

 

菊子の体調があまり良くないことが判明します。信吾は、修一にそのことを尋ねると、最近流産したのだと言います。菊子は、いまの修一の状況では、自分は子供を産めないとして、中絶してしまったのです。そして、菊子は静養のため実家に帰ってしましたが、数日して戻ってきます。この一連の抗議により、自身の耐えがたい悲しみを表した菊子でしたが、戻ってくると自分の罪を詫びるように、元の鞘に収まります。

 

新聞を読んでいた菊子が信吾を呼び止めます。房子と別居している夫の相原が自殺を図ったという記事が載っていたのです。生命はとりとめる見込みと書いてありました。信吾は、その事件の数日前に、相原から信吾のもとに離婚届が送られてきたのを思いだします。その離婚届はまだ出さずにいたのでした。今思えば、相原が自殺を図る前の清算だったのかもしれません。すぐに区役所に離婚届を出しにいきました。

 

信吾のもとを英子が訪れます。そして、絹子が妊娠したことを告げたのです。信吾は絹子の家に向かっていました。初めて会う絹子に、産まないでくれと言えるだろうか、これは殺人なのではないかと躊躇します。絹子は、もう修一とは別れたと言います。そしてお腹の子どもは修一との子ではないと言うのです。信吾は絹子に小切手を渡しました。絹子はそれを受け取ります。信吾は、自分が誰の幸せにも役に立たなかったと思います。

 

信吾と修一が同じ電車に乗り合わせます。修一は、菊子は自由だと言い、それを信吾から伝えてほしいと頼みます。帰宅した信吾は、菊子に自分たちから離れて、二人で暮らすように言いますが、菊子は修一と二人でいるのが怖いと言います。信吾は、菊子に修一と別れるつもりはあるのかと聞くと、菊子は、もしそうなっても、信吾にどんなお世話でもさせてもらえると言います。

 

信吾は、それは菊子の不幸だと思います。そこで信吾は、菊子は自由だと修一が言っていたことを伝えます。菊子は、私は自由でしょうかと涙ぐみます。その日の夕方は、一家の七人が全員揃っていました。房子が、自分はこれからはどんな場末でも水商売でもしようと思うと言うと、菊子も、房子がやるのなら自分も一緒に働くと言います。食事が終わったあと、信吾は庭を見て、台所の菊子にからす瓜が下がって来てるよと言いますが、菊子には瀬戸物を洗う音で聞こえないのでした。

 

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信吾の住んでいる鎌倉の景色を織り交ぜながら、戦後の家族像を描いた作品でした。あらすじにしてしまうと、息子は不倫をして、娘は出戻りをしたという問題のある家族のように思われますが、これらの人物の日常の何気ないやりとりの中に、それぞれの関係性があり、誰が一概に悪いとは言い切れなくなってくるのが、この作品の奥深さだと思います。あらすじでは紹介しませんでしたが、深夜に酔いつぶれた修一が哀しく菊子の名前を呼ぶ場面などは、夫婦とは何かと考えさせられます。

 

物語の終盤に、信吾が菊子に自由だと伝える場面は印象的で、女性が家庭に尽くすだけではなく、絹子のように自活して生きていくという選択肢も感じさせました。また、信吾という、経済的にも恵まれた大黒柱がいるうちは、七人が家族として暮らしていますが、物語の随所に信吾の老いの描写が散りばめられているように、将来信吾がいなくなってから、この家族また変わっていくのだと予感させる終わり方だと思いました。

本との向き合い方

こんにちは、やなべです。

 

この動画全盛の時代に、敢えて文章を書く意義とは。それを考えたら、何も思いつかなくて悲しい思いをしていました。私自身、動画を見るのが好きで、引き込まれるようなその魅力には、ある程度精通しているのですが、肝心の本については、何が優れているのかを説明できないでいました。そこで今回は、本との向き合い方について、学んでみたいと思います。

 

 

本の良さである余白

動画と本を比べたときに、圧倒的に違うのが情報の圧です。動画の良さは、効率的に情報を吸収できることですが、それが何故可能なのかというと、流れる映像と音声で脳に大容量の情報を流すことができるからです。動画を見たとき、脳は視覚と聴覚をフルに活用して、情報を吸収します。これに対して、本は読む速度を変えることで、情報の量を操作することができるため、思考を投入する余地があります。この非効率に見えるような、時間や感覚の余白が本の良さなのです。

 

読書のポートフォリオ

読書の意義を考えるときに、ポイントとなるのは問いと答えという概念です。何を目的に本を読むかで、次のように分類することができます。

  • 既知のリマインド
  • 答えの発見
  • 問いの発見

これらのうちのどれを想定して読書をするか、計画を立てることを読書のポートフォリオと呼びます。まずは、既知のことを思い出し、その必要性を再認識する既知のリマインドから始めます。これに慣れてきたら、答えの発見に進みます。自分がすでに問いとして認識していることに対する新たな見方の発見の段階です。その上で、自分を進化させるために必要なのは、問いの発見です。人間は当たり前だと思っていることに問いを立てることはできないので、それを読書で補完するのです。

 

問題を持ち続けるために

本を読み終わったときの理想の状態は、本の与えてくれた答えに熱狂し、概ね共感しているものの、残りの部分は違和感や疑問を感じて、懐疑的になっています。疑問が残っていると、読書後もその問いについて考え続けるという、本質的な読書につながるのです。そこに必要になるには、問いを解決せずに保留しておく能力です。その問いが次なる読書につながっていくのです。必要なのは、問いを育てる努力です。

 

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読書を通して、問いと答えを見つけていく過程を学ぶことができました。今の時代は情報がすぐに手に入るので、問いはすぐに答えの状態になります。しかし、そのようにして得られた答えは、本当に実践的なのかというと疑問が残ります。自己啓発書によりその場は答えを得られたとしても、実践の段階でつまづくということがあるように、簡単に得られた答えは、ともすると役に立たないことがあると思います。

 

理解できるように教わることに慣れている私たちは、理解できないという状態を悪だと考える傾向にありますが、それは間違いで、理解できないというのは、未来の理解のための自分だけの問いになります。この経験を脳に沈殿させておくことで、ある時、読書をしていて、または生活の中で、何か解決の糸口になるような発見をする、という繰り返しにより、生きた答えというのは見つかるのです。

ストーリーを語る

こんにちは、やなべです。

 

伝えたいという想いがあり、パソコンに向かって文章を書くけれども、味気ないものができてしまい、なんだ自分はそこまで伝えたいのではなかったのか、と思うことがあります。伝えたいということと、誰かに伝わることの間には隔たりがあり、そこをどう埋めるのかが、伝える側の腕の見せ所となるのですが、私の場合は、まだまだこれから技術をつけていかなければ、というところです。どういう文章を書けば、相手の心に伝わるのかについて、ある情報発信のコミュニティーで、ストーリーを描くことの話がされていました。

 

人間は、ストーリーで記憶するという特徴があるのだそうで、たとえば歴史などを理解するときも、単語だけ並べてもなかなか記憶できませんが、前後の流れの中を見ると自然と事柄が頭に入ってくるのです。物語を作るということだと思いますが、それができれば、自分の書いた文章が誰かの心に残る確率が高くなるということです。物語は、単なる事実の羅列ではなく、論理的につながっていて、全体像がおぼろげにも把握できるようにして、先を予感させながら、詳細が気になるように情報を小出しにしていく、という特徴があると思います。

 

本を読むときも、まずは背表紙に書いてある概要や、巻頭のはしがきなどを参考に、全体像をつかんで、具体的なことを知りたいと思いながら、論理展開を追っていくという流れがあります。また、文章ではありませんが、動画でもサムネイル画像でどんな内容なのかを把握して、気になったら内容を見ていきます。名著と呼ばれる小説でも、物語の最初には、印象的なフレーズが使われることが多いように思います。まずは、読者を引き付けておいて、先を読ませて、続きが気になるようになれば成功というわけです。

 

一方で、ストーリーにも型があるという話もされていました。一般的なのは、ある経験をする前後で自分の考えや、見方が変わったというものです。これまでは、こう考えていたけれども、ある経験をして、新しい考えになった、というものです。学びの共有という形だと思うのですが、文章を書いた人の視点の変化を物語にして追うことで、読んだ人も考え方や視野が広がり、成長できるというものです。こうした情報発信をすることで、相手の心に残るようになり、結果として価値提供できるのです。

斜陽を読んで

こんにちは、やなべです。

 

今回は、太宰治を読んでみました。太宰の作品は、人間の退廃的な部分をこれでもか、と見せつけられるので、自分の人生と重ね合わせて、恐怖を感じさせられます。どんな人にも、退廃的になる可能性はある訳で、それでも生きていくのか、自ら人生を終わらせてしまうのか、その違いはどこにあるのかを考えてしまいます。読んだのは、人間失格と同じくらいの代表作である、斜陽です。

 

 

かず子とお母さまの暮らし

主人公のかず子は、伊豆でお母さまと二人で暮らしています。もともとは、都内の西方町に住んでいたのですが、財産管理を任せている叔父さまから、もう資金が少なくなってきたので、地方に暮らすように言われるがままに、二人は現在の山荘に引っ越してきたのでした。お母さまは、朝食のスープを飲みながら、南方の戦地に召集されたまま行方不明になった、息子の直治のことを考えていました。

 

かず子は、数日前に庭に現れたへびのことを思い出します。近所の子どもたちが、へびの卵をもってきたのですが、ふ化しても困るので卵を土に埋めてしまいます。それを見たお母さまは、可哀そうなことをするひとね、と言います。そして、その日現れたへびは、卵の母親だったのです。そんな伊豆の山荘での生活は、安穏としているように見えながら、束の間の休息のようだと、かず子には思われるのでした。

 

そんなある日、かず子は火事を起こしてしまいます。お風呂のかまどの残りの薪の火を消さずに、薪の山に置いたことが原因でした。お母さまは、燃やすための薪だもの、とだけ冗談を言いました。その事件をきっかけに、かず子は畑仕事に精を出すようになります。火事を起こすという醜態を演じてからは、自分が田舎娘になったような感覚になり、外で肉体労働をしたいと思うようになったのです。

 

直治の帰還と過去

直治は、アヘン中毒になりながらも、南方の戦地で生きていました。そのことを聞いたかず子は、またかと思います。直治は以前も麻薬中毒になったことがあったのです。伊豆の山荘に帰還した直治は、文学の師匠である上原のもとを訪れるために東京に行くと言い、お母さまからお金を受け取ると、それから十日近く帰ってきませんでした。誰もいない直治の部屋の中で、かず子は昔のことを思い出します。

 

かつて、かず子が山木という男性と結婚していた頃、直治は麻薬中毒になっていて、薬局への買掛を払うために、かず子にお金をせびっていました。直治は、当時京橋に住んでいた上原のもとにお金を送るように言いました。買掛全部支払ったら、もう麻薬には手を出さないと約束していた直治でしたが、止めた形跡がなく、心配になったかず子は自ら、上原のもとを訪れるのでした。

 

上原は、かず子を築地方面にある地下の居酒屋に誘いました。そこで、上原は直治の麻薬中毒を治すために、アルコールに転換させるつもりだと言います。居酒屋からの帰り際に、階段を上がるところで、上原はかず子にキスをしました。その一件は、かず子の秘め事として残り、ついには当時の夫に、自分には恋人がいると告白します。それから夫は疑心暗鬼になり、かず子のお腹の子も誰の子なのかと言い始めます。夫と離婚したかず子は、お母さまのもとに戻り、お腹の子は死産してしまいます。

 

お母さまの死

かず子は、上原に手紙を三度書きます。それは、上原に向けた恋文でした。しかし、上原からは返事はありませんでした。そんな矢先、お母さまの体調がおかしくなり、のちに結核だということが分かります。日を追うごとに弱っていくお母さまを見ながら、かず子は直治にこれからの自分の生き方にいついて語ります。直治が、働く婦人になるのかと聞くと、かず子は革命家になるのだと言います。

 

死の直前に、お母さまはへびの夢を見ます。それは、かつてかず子に卵を焼かれた女へびなのでした。その話を聞いて、かず子はお母さまの死を悟ります。かず子は、お母さまに自分はいままで世間知らずだったと言います。それに対して、お母さまは世間を分かっている人なんていないのではないか、と言いますが、かず子はそれでも生きていかなければいけないと思うのでした。そして、お母さまは、かず子と直治のことをよろしくと叔父さまに伝えて、亡くなりました。

 

かず子の戦闘

お母さまが亡くなると、かず子の戦闘が始まりました。かず子は、上原への恋を成就させると心に誓うのです。ある日、直治が伊豆の山荘に帰って来ます。これをまたとない機会と捉えたかず子は、直治を伊豆に残して、東京の上原のもとを訪れます。上原は西荻窪の居酒屋にいました。あのときのキスから六年が経ち、上原の風貌はすっかり変わり、年老いた猿のようになっていました。

 

居酒屋を出ると、上原はかず子にキスをして、惚れてしまったと言います。そのまま二人は、上原の知り合いのアトリエの二階に泊まります。上原は、かず子のとなりに寝ていました。かず子は一時間ほど抵抗しましたが、ふと可哀そうになって、諦めたのでした。かず子の恋は、翌朝には消えていました。そして直治は、かず子の留守中に自殺していたのです。

 

直治の死とかず子の覚悟

直治の遺書には、彼の苦悩が書かれていました。直治は、貴族としての血に反抗するために、麻薬に手を出して粗暴にしていたのでした。しかし、それは下手な小細工で、下品に遊んでいても、少しも楽しくなかったと言います。生きたい人はどんなことをしても生き抜き、死にたい人はそうすればいいと考える直治の自殺を止めていたのは、お母さまの愛情でした。遺書の最後には、僕は貴族です、と書かれていました。

 

その後、かず子は上原に捨てられました。けれど、幸福なのだと言います。なぜなら、自分の望み通りに、上原との子を妊娠することができたからです。かず子にとって、上原は人格とか責任とかをあてにする相手ではなく、自分の恋の冒険の成就だけが問題だったのでした。上原も自分も、道徳の過渡期の犠牲者なのだと、かず子は言います。かず子は、私生児と母として、古い道徳と争い生きていく覚悟なのでした。

 

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物語は、かず子が未婚の母として、子どもと共に生きていくという決意で終わります。これまで、人と争わず、憎まずうらまず、美しく悲しく生きてきた没落貴族が、世間という何か分からない世界に放り出されそうになったとき、お母さまは最後まで貴族として死んでいき、直治は世間に溶け込もうとして上辺だけの真似をしてみて、しかし自分に流れる貴族の血には抗えず、生きていく能力のなさに絶望して自殺したのです。

 

貴族にかかわらず、時代が変わるということは、アイデンティティの崩壊を意味します。自分が浸かっていた価値観とか、生きるための軸としての人生観とか、自分が自分であるというゆえんが失われたことに気づいたとき、不安になり孤独になり、生きる価値を改めて考え直すことになります。物語は戦争が終わった、という時代の移り変わりでしたが、現代でいえば、私たちは感染症による価値変化を経験し、さらには戦争の時代が到来することが予想されます。生きるための軸を失い、退廃的になるのも人間ですが、新たな軸を求めて生きていく生命力をもつのも、また人間なのだと思います。

古都を読んで

こんにちは、やなべです。

 

先日、川端康成の雪国を読みました。川端康成の小説は、日本語がきれいで音にしても非常に美しく、また、通常と異なる独特の語句の組み合わせから、物語の風景が鮮明に思い浮かぶという体験をすることができます。読み進めながら、このような日本語の使い方ができたら、なんて素敵なのだろうと思います。今回は、雪国と並ぶ川端康成の代表作である古都を紹介します。

 

 

佐田千重子は、京都にある老舗呉服屋の娘です。千重子には、生まれたあとすぐに捨てられたところ、現在の両親に育てられたという経緯があります。千重子の育ての父親である太吉朗は、店の経営を部下に任せ、自分は嵯峨の尼寺にこもり、娘にあげる帯の下図を描いていたのでした。その下図をもとに帯を織るのは、織屋の大友宗助の息子の秀男でした。秀男は、千重子に好意を寄せていたので、彼女の帯を織ることが嬉しく、勢いづいています。

 

ある日、千重子は友人と北山を訪れて杉を見ていると、そこで作業をしている自分によく似た娘を発見します。そのときはあまり気に留めていなかったのですが、祇園祭の日に偶然の再会を果たします。彼女の名前は苗子といい、千重子の生き別れの妹だったのです。苗子は、狼狽する千重子と別れたあと、秀男に声をかけられます。苗子を千重子と勘違いした彼は、苗子に新しい帯を織ることを申し出ます。

 

秀男は新しい帯の図案を持って、千重子のもとを訪れます。千重子は、自分には生き別れの妹がいて、祇園祭の日に再会したこと、秀男が帯を織ると約束したのは、その妹の苗子であったことを伝えました。そのうえで、苗子のために帯を一本織ってほしいとお願いします。千重子は、再度北山を訪れて、帯のことを苗子に伝えます。最初、苗子は千恵子の身代わりではないので、そんな帯は受け取れないと言いますが、千恵子の熱意に押されて承諾します。

 

そして、苗子の帯ができあがります。秀男は、帯をもって苗子のもとを訪れます。苗子は、千恵子の身代わりはもう嫌だと言いますが、秀男は約束だからと言って帯を渡した上で、時代祭に苗子を誘います。苗子は、こうして千恵子との交流が深まっていくことは、千重子の愛情が身にしみただけに、慎むつもりでいるのでした。苗子は、千恵子の存在が知れただけで十分で、帯は一度きりありがたく受け取ると言います。

 

時代祭が終わって数日後、苗子は千恵子に電話をかけます。苗子は、千恵子に聞いてもらいたいことがあると言います。千恵子が苗子のところに行くことになりました。苗子に会う日になり、千恵子が出発の準備をしていると、太吉郎は、苗子に困ったことがあったらうちで引き取ると言います。千重子は泣いて感謝します。

 

苗子に会うと、実は秀男に結婚を申し込まれたと言います。苗子はすぐには返事ができないのでしたが、これは千重子の身代わり結婚であると言います。それに、苗子が織屋の秀男と結婚したら、そのつながりのある呉服屋の千重子にも変な噂がたったりして、迷惑がかかると言います。帰り道、千重子は苗子に、うちに泊まりにくるように誘います。苗子は困惑しながらも、一晩だけ千重子と泊まりたいと言うのでした。

 

約束の夜になり、苗子は千重子のうちにやってきます。千重子は、うちにずっといてくれることはできないのかと聞きますが、苗子は千重子の周りの環境に自分はそぐわないと言って断り、たった一度だけ千重子の家にきたのだと言います。苗子は、一度だけ千重子の布団に入りたいと言うので、千重子は苗子の布団に潜り込みます。翌朝、早くに苗子は北山に帰ると言い出します。千重子は、また来てくれるように言いますが、苗子は首を振ってそのまま振り返らずに帰るのでした。

 

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生き別れになった姉妹が出会い、そして別れていくまでの過程を、京都の様々な行事と情景にのせて描いた作品でした。苗子は、千重子の幸せを願うからこそ、自分のせいで千恵子に良くない噂が立ったり、生活が脅かされることを一番に恐れるのでした。切なくも、苗子の芯の強さが魅力的に映ります。それと同時に、親に捨てられた千重子は京都の中心で、お嬢さんとして育てられたことや、偶然の再会により、苗子を太吉郎は面倒を見るといったことなど、人生は何が起こるか分からない、どんなめぐり合わせによって、どういう風に人生が進むか分からないという、人生の妙のようなものを感じました。

気持ちの切り替え方法

こんにちは、やなべです。

 

私は、気持ちの切り替えが苦手です。人間関係とか仕事とかで嫌なことがあると、ずっと引きずって、自分の生活が脅かされるようなことも、しばしばあります。あのときこうしておけばよかった、なぜあんなミスをしたのか、次はどうすればいいか、そんなことが頭の中をぐるぐる駆け巡って、他のことが疎かになったりします。反省することは必要だとしても、それしか考えられなくなるのは、害になります。

 

しかし、最近はバイト先の職場に行くまでは、ぎりぎりまでブログのことを考え、バイトが終わると、すぐにまたどんな記事を書こうか、ということを考えるようになりました。もちろん仕事では失敗もするし、いらんこと言ったかなあとか、もっとうまくできたなあとか、そういう反省をすることはあるのですが、ブログの世界に入り込むと、もう仕事のことは考えなくなります。

 

これまでの、仕事とプライベートという分けと、仕事とブログという分けはどう違うのかと考えたときに、ブログは未来への投資として毎日自分に課していること、という特徴があることが分かりました。未来はこうなっていたい、という私の場合は、文章で価値創造できるようになりたい、という像があって、そのために今やることとして、ブログは位置づけられています。

 

ポイントは、現在の仕事と、現在のプライベートという時間軸が一緒の関係では、一方が他方を侵食してしまうことがある、ということです。逆に、現在は未来の通過点であると実感したとき、未来のための行動は、現在の他のことの影響を受けないことが分かりました。縁があってさせてもらっている、今のバイトを決して軽視するわけではないのですが、未来像につながっているのは、バイトではなくブログの方なのです。

 

思い返せば、会社員時代には、未来の自分のために今すること、という感覚はありませんでした。未来のことを考えることもなく、ひたすらに今に向き合ってきました。それは必要なことだったのですが、それだけでは物足りないという感覚は、たしかに当時にもありました。今、自分が以前と比べ物にならないほど、不安定な立場に立たされていて、その方が未来像を描けるというのは、なんとも不思議なことです。

 

会社員を辞めることになり、絶望していたころは、未来を描くことは全くありませんでした。考えているのは、過去のことばかりで、今思えば、現在の自分を認められなくて過去に逃避していたのだと思います。今でも現在の自分を認めているとは思えないのですが、だからこそ、未来像を描くということは、生きていくための知恵だったのかも知れません。