人間失格を読んで

こんにちは、やなべです。

 

日本文学の最高傑作とも呼ばれる、太宰治人間失格。非常に暗く、救いのない話というイメージがありましたが、この機会に読んでみました。

 

 

この小説の主人公は、人間を信じることができないという病により、ゆくゆくは自分を破滅させてしまうのですが、その過程が生々しく、読んでいて苦痛になる部分もありました。それは、読者にも、この主人公の抱えている苦悩に思い当たる節があるからだと思います。普段、感じないようにしている孤独感や人間への恐怖心を、主人公の独白を通して、これでもかと突き付けられるところに、この小説の凄みがあるのだと思います。

 

主人公の大庭葉蔵は、人間を信じることができないという病に侵されていました。そのため、幼少の頃から自分の本心を表現することができず、道化を演じることで、環境に適応していました。周囲はこれをおちゃめな葉蔵として捉え、まさか計算して演じているとは思いませんでしたが、これを見抜いた友人から、君は将来女性に惚れられて生きるという予言めいたことを言われるのでした。

 

そして、この予言は的中し、葉蔵は女性の家を転々とする生活を送ります。その中で、無理心中をしたり、お酒や薬物に依存したりと生活が退廃的になります。その後、葉蔵は年下の純粋な女性と結婚するのですがその女性が純粋さのあまり、男に強姦されてしまいます。純粋に人を信じることが、このような結果になり、では一体何を信じていけばいいのかという疑問とともに、退廃的な生活からボロボロになった彼の独白は終わります。

 

人間を信じることができない、自分をダメにしてしまう方向に進んでいってしまう、そんな葉蔵の姿は悲劇的で見ていられなくなるのですが、一方で、実際に読んでみると何かしらの救いがあるようにも思えました。それは、人間不信という罪を主人公がこれでもか、というくらいに被り、その罰として自らを破滅させていくことで、読者もまた抱えている、同じような罪を軽減するような気がするからなのではないでしょうか。キリストが人類の罪を引き受けたように、この物語の主人公は、誰もが抱える不信や不安を一手に抱え込み、自らを人間失格だと悟るまでに至ったように思います。