簡単で失敗しないおすすめレシピ

こんにちは、やなべです。

 

最近、料理を始めました。私にとって炊事、洗濯、掃除の家事のうち、ダントツで苦手なのが炊事なのです。以前の収入のあった頃は、自炊するより外食したほうが手軽で美味しいし、定食屋に通えば栄養管理もある程度してもらえるし、なにより面倒な片付けをしなくてもいい。という訳で、まったく自炊はしていませんでした。

 

それから状況も変わり、料理くらいできないとなあと思い始めたとき、ネットの動画でリュウジさんのバズレシピを見つけました。これ、何がいいかというと、料理を作り終わったときに試食するのですが、本当に美味しそうに食べるんです。そして、どこよりもうまいと思わせる編集の仕方で、自分も作ってみようという気にさせます。

 

そんな、リュウジさんのバスレシピの中から、私が実際に作ってみて失敗がなく、かつおいしくできたものを、いくつか紹介したいと思います。

 

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まずはこれ、本当に簡単にできて、そして美味しいです。天津飯というと関東では、甘酢のたれなのですが、このレシピでは関西風のオイスターソースのあんになっています。

 

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これも作ったら大変好評でした。洋食屋に出てくるような、ケチャップ風味の味付けで少し濃いめなのですが、それがご飯にも合うし、おつまみにもなります。バターを使うので少し油っぽいと感じるところもありますが、食べているときは気になりません。

 

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これは美味しくて、2回作りました。市販でもあるガリバタ焼きのようなものですが、家庭の調味料を使うのでもっと優しい味になっています。隠し味にタバスコを入れるのですが、甘さのなかにその酸味もあって、やみつきになります。

小林秀雄の人生論

こんにちは、やなべです。

 

先日の記事で、問題解決能力について自分は向いているのか否か、という疑問があることを書きました。現状から問題点を見つけ出してその根本的な原因をさぐり、解決策を提示して実行していく(または周りに実行させる)力なのだそうです。アマゾンで検索してみると、いわゆるコンサル会社出身の方の本が多くあり、その一つを読んでみたのですが、いまいち興味が湧きませんでした。

 

興味が湧かないということは、あまり強みにはならないのかなと思いました。いずれ必要になったときに、もし向いているのであれば、興味が湧くかもしれないので、いったん保留にして、自分の興味のままに検索していたところ、人生論というワードにピンときて購入してみた本があります。やっぱり、実益というよりは哲学的なものの方が、ブログの記事にしやすいのかなと思いました。

 

 

さて、一応2周読んだのですが、とにかく難解です。もともと、小林秀雄さんの文章は高尚すぎて読みづらいところがあると、どこかに書かれていましたが、それをこの本の著者がかみ砕いて説明しています。あまりに分からないので、アマゾンのレビューなども参考にしながら、書いてあることをまとめてみました。

 

人間は、なにかに興味を持つとき、その詳細を知っているわけではありません。なんとなく、いいなあと思って、惚れるわけです。これを小林秀雄は直観と読んでいます。直観は、自分の中に流れている伝統と呼ばれるものから呼び起こされます。

 

伝統は自分の中にある土台のようなもので、私たちの行動を制約するものなのだそうです。全くの自由で、制約のないところでは、人間は選択することもできない。制約があるからこそ、その中で自由に動けるのだと言っています。

 

そして、直観により興味を持ちそれについて詳しくなることで、熟達していきます。そして、新たな直観が生まれていくという、解釈学的循環を人間は繰り返すのだそうです。これを宿命と呼んでいます。

 

だから、何か新しいことを始めるにしても、必ずその興味を持ったときに、伝統をもとにした直観が働いており、自分が新しくなるということはなく、それらは自分の中にある土台に依って生み出されたものなのだそうです。

 

たしかに、何かを選択するときに、というか選択肢に何かが上ること自体、理論的に説明しきることはできないと思います。理由ははっきりしないけれど、なんとなく目にとまったものが選択肢となり、それについて調べてみようという気持ちで詳しくなるうちに、選択していくという流れがあります。

 

そうすると、直観が働いたときに、その瞬間を見逃さないということが大切になってくるのではないかと思います。何かに惹かれたとき、理由はないけれど目に入ってくるもの、それが自分の中の土台である伝統、今まで生きてきた中で培った文脈により選ばれた宿命につながっていくのではないかと思います。

おすすめクラシック音楽

こんにちは、やなべです。

 

私は、5歳の頃からピアノを習い始めて、かれこれ20年以上音楽を趣味にしてきました。ピアノは個人競技なことが多く、ほかの楽器と違ってピアノ単体で成り立つ分、アンサンブルのように合わせることが相対的に少ない楽器です。

 

しかし、大学のピアノサークルに入ると、例えば2台ピアノ(いわゆる連弾は1つのピアノを2人が弾くものですが、2台ピアノはその名の通り2台で合わせます)があったり、協奏曲のようにほかの楽器と合わせたりという機会があり、音楽の世界が広がりました。

 

今回は、単体のピアノ曲にとどまらず、私がおすすめするクラシック音楽を紹介していきたいと思います。最初はピンと来なくても、だんだんと聴いているうちに好きになっていくというパターンもありますので、ぜひ何度か聞いてみることをお勧めします。

 

ラフマニノフ チェロソナタ第三楽章

 

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クラシックで一番お勧めの曲は?と訊かれたら、これをまず思いつくくらいに何度も聴いている曲です。チェロの落ち着いたメロディーから始まって、だんだんと内に秘めた激しさが出てきて、それに合わせてピアノも前面に出てくるところが、何とも言えずに素晴らしいです。チェロとピアノの組み合わせは珍しいのですが、低音のメロディーを担当するチェロと、高音の伴奏でアシストするピアノとそれらの掛け合いが、しっくりくる曲です。

 

シューマン ピアノ協奏曲第一楽章

 

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私の大学時代の友人がお勧めしてくれた曲です。当時は、その良さがあまりよく分からなかったのですが、この歳になって改めて聴いてみると本当に「全部いい」というか、どこを切り取っても良い曲だなあと思います。ピアノ協奏曲というと、ピアノが主役でオーケストラが伴奏というイメージが強いですが、この曲はピアノもまたオーケストラの一部で、掛け合いを続けていきます。

ブログ記事の種

こんにちは、やなべです。

 

急に涼しくなってきました。私は暑がりなのでぎりぎりまで冷房をつけて過ごすのですが、さすがに今日はスイッチを切りました。急な気温の変化は、体調にも影響してくるので、心身ともに無理をしないように気を付けたいところです。

 

さて、これまでブログの毎日更新を続けてきましたが、今日はついにネタ切れとなってしまいました。正確に言うなら、一つの記事として成立するだけの考察ができるネタが見つからないのです。かといって、考察に考察を重ねて「よし、今日はこれで一つ記事が書ける」と自信をもっていざ書いてみると、なんともしょぼくて納得のいかないものが出来上がったりするので不思議です。

 

そんなわけで、今日はひと記事未満のブログの種としてストックしているものを列挙してみたいと思います。この種をいずれ膨らまして、一つの記事にできることを願っています。

 

私はなぜブログを書くのか

 

私がブログを始めたきっかけは、日々の考えを文章の形にして表現する能力を身に着けたいと思ったからです。統合失調症になって、安定した仕事を辞めることになり、これまで自分が経験したことのない不安に押しつぶされそうになる毎日でした。

 

しかし、今のアルバイトで「以前よりできるようになっている」という感覚を得て、それが生きがいになるのではないかと思うようになりました。この感覚をもっと体感できるようになれば、希望をもって生きなおすことができるのではないか、と考えて以前から興味のあった文章を書く技術を磨くことにしました。

 

文章を書くということは、書きながら自分の文章と対話することだと思います。頭の中で考えていることをアウトプットすることで、それを自分の目で確認することができます。いわば人と対話をしていくように、自分の書いた文章で考えていることを確認することで、新しい考えが生まれてきたりします。

 

問題解決能力とは

 

自分の好きなことを強みとして伸ばしていけばいい、とマーケターの森岡毅さんの著書に書いてありました。それを考えたときに、ふと自分の強みになるのか弱みである苦手なことにあたるのか分からないものがあり、それが問題解決能力でした。

 

問題解決能力とは、自分のいる環境にある課題を見つけてそれを分析して解決する方法を試行錯誤する能力ですが、私の場合、会社員だったころ上司から「なぜ、これをやっていないんだ。当然思いつくはずのことだ。」と言われることが多々ありました。言われてみればそうなのですが、私には思い至らないのです。

 

これは、上司には見えている問題が、自分には見えていないということなのではないか。注意されるくらいだから、当然見えている必要のあることが、私には見えていないのではないか、とだいぶ悩みました。

 

一方で、別の仕事では、自分が担当となって問題解決のために工夫をこらして、周囲を巻き込みながら進めた事案もありました。それが解決したときには、言いようもない達成感に満たされたのをよく覚えています。また、ある人に「やなべは誰も思いつかないような解決策を思いつく」というようなことを言われたことがあります。

 

仕事は、問題解決の積み重ねなのだと思うのですが、それがうまくできるときと、そうでないときの差が激しく、果たして自分はこの能力が強みになるのか弱みになるのかが分からないのです。

岡本太郎という生き方

こんにちは、やなべです。

 

私がブログを始めるきっかけとなった、執筆屋&バリスタのあんちゃさんのツイッターにとある本が紹介されていました。

 

 

触発されて私も読んでみたのですが、こんな人生のとらえ方があるのかと衝撃を受けました。会社員をしながら、自分のやりたいことはこれではないと思いながら日々を過ごしている人が多いと本書では指摘されていますが、私の場合は期せずして会社員をドロップアウトしたので、半ば強制的に岡本太郎さん的な状況に立たされているわけです。

 

人生は選択の連続であり、選択に迷ったときは危険で将来の見通しが立たない方を選んで、情熱を燃やすのが人生であるといいます。それがたとえ食えなくても、ほんとうの生き方の方向に進みたいという情熱が、危険な方向へ突き動かしていくのです。危険だという道は、必ず自分の行きたい道なのだといいます。

 

また、自信がなくてどの道を選べばいいのか迷ってしまうという人は、まず自分がそういう人間であるということを素直に認めるところから始めて、強くなろうとジタバタしないほうがいい。気が弱いと認めた上で、何か自分なりに積極的になれるものを見つけていくのだそうです。

 

私はどちらかというと、何かに寄りかかって生きてきた人間なので、岡本太郎さん的な生き方とは対極に位置していました。そして、安定とか世間体とかを重視して生きてきました。しかし、その方法では今後生きていくことが難しい局面にいます。危険と思う道にこそ、積極的に生きるためのヒントがあるということですが、それが私の場合具体的にどんな道になるのか、まだ分かりません。

 

そして気が弱いことも確かです。すぐへこたれるし、考え込んで先に進めないこともしばしば。安全志向だし、リスクをとって何かを成し遂げようという発想もありませんでしたし、生きる覚悟というか、命を燃やすようなことを今まで考えたこともありませんでした。

 

これから生きていく上で、岡本太郎さんのような観点で選択をしていく必要を迫られることが起きてくるはずです。そのときに自分がどんな選択をするのか、まだ想像もつかないのです。

余計な感情を取っ払ったとき

こんにちは、やなべです。

 

ただいま深夜の2時です。なんでこんな時間に更新しているかというと、ふと起きてしまったからです。私はこの時間が好きなんですが、家の人も寝ていて、外も静かになり私だけの考える時間ができる。しかも、寝ていたので頭もすっきりしている。なんか、昼間には感じる人生の焦りとか、現状への不満とか、そういうものをリセットできる瞬間なんですよね。

 

私は、楽器店で働いていますがアルバイトです。公務員を病気で退職してから、統合失調症という病気ということが発覚し、これからの人生お先真っ暗だなあ、と思い生きる意味も失いながら就労移行支援に通っていたところを、親戚のおじさまが経営するお店で働かないか、と言われたのが事の発端です。

 

もともと趣味でピアノを弾いていて、音楽にはわりと精通している自覚があったのでなんとかなるだろうという気持ちがあったのですが、実際なんとかしながら続けているところです。まあでも、楽器店の専門は吹奏楽の楽器とギターなどの軽音楽なので、私の経験そのものを、まるっと生かすことはできないなあと、途中で気づいて悩んだこともありました。

 

ただ、商品の仕分けをひたすら半年続けたときに、ある日「以前よりもわかる」という感覚になり、そこから自分の経験したことのない楽器にも、少しずつ興味を持つことができるようになってきました。直接お客さんにアドバイスなどができるだけの経験も知識もありませんが、私なりにお店に関わることが、もしかしたらできるんじゃないかと思っています。

 

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こんな青春してみたかったなあ。いろんな楽器で合わせてひとつの曲を作り上げるって楽しんだろうなあ。私のやっていたピアノは、基本的にひとりで演奏するものなので合わせる喜びというのはあまり経験したことがありません。楽器店の店員の人が、「そろそろコンクールだねえ」と話していて、たぶん自分がコンクールに挑戦したときのことも思い出しているんだろうなあとうらやましく思う私です。

 

楽器店の店員の人は、おそらくだいたいが吹奏楽経験者です。趣味で音楽をしていて、それを生かしたいと思って楽器リペアの専門学校を卒業して、楽器店に就職するといううルートが一般的のようです。わりかし直線的なルートですが、脇目もふらずそういう道を歩めることをうらやましく感じます。

 

私なんて、大学で経済学を学んで(経済は興味があったので楽しかった)、公務員試験を受けて公務員になり、一生この仕事でやっていくんだと思っていたら、知らず知らずのうちに病気になって退職して、障がい者手帳を取ることになり、現在に至るわけです。曲がりくねった道というか、一歩進んで二歩下がるというか、これからどういう人生が待っているのでしょう。期待しすぎない程度に期待しつつ、日々を過ごしていきたいですね。

実感をともなう気づき

こんにちは、やなべです。

 

実感をともなって、まさに文字通り腑に落ちるという体験ってありますよね。私は、そのたぐいの体験が人生の転換点であったり、マイルストーンだったりするのだと思います。

 

先日、仕事をしていたらふと「以前より、わかるようになった」という感覚が降りてきたことがあります。(まさに降りてくるという表現が適切)そして、わからなかったことがわかるようになるということが、自分の求めている状態であり、おおげさに言えばその瞬間のために人生を歩んでいるんだなあと思いました。

 

では、そのような気づきはいつ訪れるのかというと、ふとした瞬間なので予想がつかないんですよね。ポイントとなるのは、何かを継続しているときにその瞬間は訪れるということです。

 

継続するのって、時には面倒だったり、なんでこんなに自分はできないんだろうと自己嫌悪に陥りながら進んでいくものなので、あまり順風満帆なものではありません。

 

ですが、その継続の先には、かならず何かの気づきが生まれるのだと思います。

 

なぜこのようなことを改めて書いているかというと、最近気づきがなくて疲弊しているからです。イマイチ進んでいるなあという感覚がなく、方向性が掴めないまま日々を過ごしているような気がしています。

 

継続していることといえば、仕事とこのブログくらいですが、どちらもあまり振るわないので、ちょっとゲンナリしています。何かの気づきが突然またやってくることを期待して、今日も文章を書いてみるのでした。