ブログ投稿をする意味

こんにちは、やなべです。

 

ブログ投稿を始めてから、1か月が経ちました。この機会に、毎日投稿をしてみて自分にどのような効果があったのかを、まとめたいと思います。

 

私は、このブログを通して自分の人生を発信したいと思い、投稿を始めました。統合失調症という病気になり、会社員を辞めることになり、今後の人生に絶望していた自分がこれからどのように生きていくかを考えたときに、何かに熟達して価値生産をするという新たな方向性のもと、文章でその過程を記録に残すとともに、それを読んだ誰かの心を動かすことを目標にしました。

 

人生には方向性が必要だと思います。私の生き方として、日々の出来事によって心の浮き沈みがある中で、もう一つの長いスパンで考えた軸を持つことで、ハイブリッドに人生を捉えてみようとするというものがあります。会社員時代には、毎日の仕事のことで頭がいっぱいで、どのような人生を生きるかという長期的な展望は全くありませんでした。因果関係はどこまであるかは分からないですが、そういう生活をしているうちに精神が限界をむかえて、発病したのではないかと思います。

 

私には、人生のストーリーを綴ることが必要だと気付いたのです。今日のブログの記事は何にしようかと、日々考えることそれ自体が、自分を救うのではないかと感じています。人生のストーリーを綴ることで、自分が何を求めているのか、どういう軸で生きていきたいと思っているのかが、文章の形で現れるというのは、今まで経験したことのないことでした。頭で考えているだけでは整理されないことが、言葉となって文章に表現されることで、人生の指針を見つけながら、軌道修正しながら、日々を過ごすことができるのです。

 

最初、ブログを始めた頃は、日々のネタに困ることがありました。今も、たまに書くことがないなあと思いながらパソコンに向かうこともあります。しかし、以前よりはこれを書こうというネタが思い浮かぶようになりました。それは、自分のこれまでの経験や今経験していることが、そのままブログの記事になるということに気づいたということが大きな要因だと思います。経験の記憶は頭にあるだけでは、文章にはなりません。しかし、それを書きだそうとしてパソコンに向かい、実際に文章にしていくことで、一つの記事に仕上がることが分かりました。

 

私の経験として記事になるのは、音楽と勉強と病気により人生が変わったということが挙げられます。特に最後の人生の変化というのは、誰もが経験できることではありません。人生に絶望していた頃は、どうして自分だけがこんな仕打ちを受けることになったのかと、前の生活に戻れない現在に失望していました。しかし、逆にこの境遇を文章に残すことで、価値を見出すことはできないかと考えるようになりました。誰もが経験することのできない種類の人生を、自分は経験していることが、文章を書く動機にもつながっているのです。

 

概して、私は文章を書くことが人生を歩んでいくことと併せて両輪のようになっていると思いました。綴ることが好きなのかは、まだよく分かっていませんが、人生のストーリーを文章にすること自体が、自分の人生に必要なことなのだと思います。今後も、文章を書き続けることで、自分の人生の指針として、それを公開することで、少なからず誰かこの文章を読んだ人の心に影響を与えるという道に進むことができたら、自分もまたそれを価値生産として生きていけるのではないかと思っています。